新海誠監督の『君の名は』が社会現象となり、国内アニメでは興行収入歴代2位。
これまで日本アニメの王者として君臨してきた、スタジオジブリの作品のほぼすべてを抜き去ってしまった計算になります。
- 君の名は 200億円~(上映中)
- ハウルの動く城 196億円
- もののけ姫 193億円
- 崖の上のポニョ 155億円
昔から新海誠ファンであったぼくは、監督の長い苦節を知っているだけに、よくこれだけヒットしたなと感慨深い気持ちでもあります。
まさに『君の名は』は2016年の顔であり、こんなにヒットするアニメ映画はそうそう出てこないでしょう。
しかし、そんな社会現象となった『君の名は』ですら、宮崎駿の最大ヒット、『千と千尋の神隠し』にはかなわないのです。
- 千と千尋の神隠し 308億円(wiki調べ)
これだけ「みんな見てる」と言われている『君の名は』でも200億円くらいなのに、『千と千尋』は300億円ってどうなってるんですか!?
ちなみにここ数年の邦画で最大のヒットと言われている『永遠の0』が興行収入87億円なので、『千と千尋』は『君の名は』の1.5倍、『永遠の0』の3.5倍という驚異的な記録。
『君の名は』が『千と千尋』を抜こうと思ったら、最低でもこれから先の観客全員がNARUTOであり、影分身できることは絶対必須条件となってきます。
これほどまでに映画界に『絶対の1位』を知らしめる『千と千尋』に込められた、宮崎駿監督の思いとは?
ぼくは宮崎駿監督やスタジオジブリ映画が大好きなので、監督インタビュー本なども集め尽くしており、今回は当時のインタビュー本から、日本映画界に君臨する『千と千尋』のすべてを紐解いていきたいと思います。
なぜ千尋はジブリヒロインの中でも可愛くないデザインなのか
宮崎駿監督が映画を製作するたびに作っている『企画書』の多くが、映画パンフレットや著書の中に収録されています。
『千と千尋』のキャラクターデザインで特徴的なのが、主人公の千尋がぜんぜん可愛くないという点。
このふたつのジャケットはとてもよく似ていますが、狼の前に立つ美女と豚小屋の前に立つ女の子、ビフォーアフターの比較写真のような状態になっており、なぜこんなものを映画のジャケットにしたのかと考えさせられてしまいます。
ぼくも『千と千尋』上映当初、一番最初に驚いたのが「なんか主人公の女の子の顔がいつもと違う!」ということでした。
これまで宮崎駿監督は、
「映画作る時は2年以上も苦労するわけだから、それなりのいいヒロインでないと頑張れない」
ということで毎度毎度同じような顔のヒロインが登場していたのです。
それがなぜ急にこんなキャラデザに…と思いましたが、その理由も企画書に書かれていました。
(前略)
正邪の対決が主題ではなく、善人も悪人もみな混じり合って存在する世の中というべき中へ投げ込まれ、修行し、友愛と献身を学び、知恵を発揮して生還する少女のものがたりになるはずだ。
(中略)
今日、あいまいになってしまった世の中というもの、あいまいなくせに、侵食し喰い尽くそうとする世の中を、ファンタジーの形を借りて、くっきりと描き出すことが、この映画の主要な課題である。
かこわれ、守られ、遠ざけられて、生きることがうすぼんやりにしか感じられない日常の中で、子供達はひよわな自我を肥大化させるしかない。千尋のヒョロヒョロした手足や、簡単にはおもしろがりませんよゥというぶちゃむくれの表情はその象徴なのだ。
この企画書を読んで、ぼくも「なるほど!」と膝を叩かされました。
『千と千尋』が、ファンタジーでありながら現代日本であるというのはぼくも映画を見て感じていましたが、子ども達が精一杯背伸びをしている姿を描こうとしたのが、あの千尋のぶちゃむくれの表情だったんですね。
よくこんな単語を企画書に使おうと思いましたね。
また、ヒョロヒョロしたキャラデザも、あえて今の世の中に生きる子ども達を描こうとして作られたものだということがわかりました。
ナウシカなんかは壮健で凛々しい体つきですが、これはファンタジーの中で戦う女性だからこそこのようにデザインされ、千と千尋は現代社会と戦っているからこそ、等身大の子どもとして描かれているというのがこのキャラデザの秘密です。
ちなみにナウシカの胸が大きいのは、「死んでいく兵士を受け止める胸は大きくなければならない」という宮崎駿監督のこだわりだそうです。それはどうでもよろしいです。
さらに千尋のキャラデザは、宮崎駿監督の実在の友人をモデルにしていることもインタビューの中で分かっています。
徳間書店ロマンアルバムのインタビューから抜粋して紹介します。
宮崎駿「これまでのジブリ作品というのは、現代をこう思うとか、ややこしい話が多かったんですけど、この作品にはそういうものはありません。僕の10歳くらいの小さな友人たちに「あなたたちのために作った作品だ」と本当に言えるものを作ろうと思ったんです」
(中略)
―主人公・千尋は、監督の幼い友人たちがモデルになっているのですか?
宮崎駿「モデルというか、ある部分はそっくりですけど、ある部分は全然似てないです(笑)。」
―その似ている部分というのは。
宮崎駿「ブスなところとか(笑)」
徳間書店ロマンアルバム、および折り返し点収録のインタビューより
ひどい監督だなほんとに。
これまでほんと、宮崎駿監督のファンでいればいるほど、「監督すげーーー!!」と思わされたり、「この人ひどい人やな!!」と思わされたりが混在してきましたが、これほどひでぇと思った言葉はないですね。
宮崎駿監督は、「死に際は自然に囲まれた田舎の家で、多くの子どもたちに見守られて死にたい」と言うくらい小さな友人が好きな人間なわけですよ!
もう少し小さな友人に尊敬の念を持って発言してください!
あと、インタビュー読んでると『小さな友人』という単語がしょっちゅう出てくるんですけど、本当にその道の人だと疑われるんでやめてください!!
ただでさえ世間からそう言われてる監督なんだから!『友人の子ども』でいいじゃん!
とにかく上記のような理由で、『千尋』のキャラデザが作られていったことがわかりました。
ジブリヒロインで唯一と言っていいくらい美人ではない理由は、『現代で戦う子どもを表現しようとした』結果だったのです。
また、インタビューでは美少年・ハクについても触れられています。
―ハクについてはいかがですか?なぜハクのような美少年を登場させたのでしょう。
宮崎駿 こういうふうにするつもりは全然なかったんです。ただ女がいれば男がいるし、男がいれば女がいる。そうやって世界ができているわけで、主人公がブスなんだから白面の美少年がいないとつまらないかなと思っただけなんです。
ひどい人だなほんとに!!
しかし、宮崎駿監督としては、主人公が美少女ではないということ、これがものすごく重要だと捉えているようです。
人は変わるもの、人の魅力は自分が作るもの、だから美少女じゃない女の子を主人公にしたい。そんな姿を映し出したかったのが千尋というキャラクターなんだということをインタビューで語られていました。
最初から完成されているナウシカのような美少女ではだめだったのが、『千と千尋』の物語だったのです。
千尋が訪れた異世界はどこなのか
作中で千尋は異世界に訪れます。モデルが台湾の九份(きゅうふん)であることは明らかになっているのですが、その異世界がどこだったのか、詳しい説明はなされないまま作品は終わっています。
千尋が訪れた世界がどこかはわからないですが、九份が描かれていることからして、宮崎駿監督は『昔の日本』を描きたかったんだろうなと思わされました。
監督のインタビューを紐解くと、やはりルーツは監督がかつて見た日本の風景をモチーフとしているそうです。
(千尋が迷い込む異界は)あれは日本そのものです。ついこの間まであった紡績工場の女工たちの部屋とか、長期療養所の病棟とか、みんな千尋が暮らす湯屋の従業員部屋のような、ああいうものだったんですよ。日本は少し前までああいう感じだったんです。描いていて懐かしかったです。
徳間書店ロマンアルバム、および折り返し点収録のインタビューより
千尋は日本の社会をモチーフとした異界に飛び込まされたわけですね。
異世界ものでありながら、日本から日本へ飛ぶというあたり、作品で表現したいテーマが伝わってすごくいいと思います。
ちなみに湯婆婆の住む館だけ洋風になっていますが、これは鹿鳴館(ろくめいかん)をモチーフにしているということです。
鹿鳴館とは、明治時代に外交官の接待に使われた社交場のことで、これまた明治から昭和の古い日本の建物です。
その時代の日本には丁稚奉公(でっちぼうこう)という文化があり、子どもは10歳くらいにもなれば商店へ住み込みで働きに出ることが普通でした。
当時の丁稚奉公は、貧乏な家の子どもが働きに出ることが多かったのですけれども、衣食住を保証された上、商売の勉強ができるということで、給料なんてまったくもらえないことが当たり前だったのです。
現代なら、家が貧しいからと追い出され、住み込みの商店で1円も給料をもらわず働くということは考えられませんね。しかし、これこそが当時の子ども達が避けては通れなかった現実だったのです。
『千と千尋』では、意図的に過去のそういった社会の中に現代の子どもを飛び込ませ、その姿を映していくことがテーマのひとつなのかなと思わされます。
そして、だからこそこうした映画が子ども達にも衝撃を与えたのでしょう。細かな意味がわからずとも、両親が豚になり、自分は働かなければならないというストーリーは、子どもにとってとてつもなく大きな体験だっただろうと思います。
宮崎駿監督もインタビューで語っていましたが、『子どもが働かなくてよくなった時代』は日本でもまだ短く、世界で見ると子どもがまだまだ労働力となっている国も多いんですよね。
世界のどの子どもが見ても見られる映画にしたい、というのが今回の映画の初志になっていたようで、そのあたりから、湯婆婆の湯屋で働く千尋ができあがっていったのでしょう。
―その湯屋には大浴場がありませんでしたが、その理由は?
宮崎駿 そりゃあ、いろいろいかがわしいことをするからでしょうね(笑)。
徳間書店ロマンアルバム、および折り返し点収録のインタビューより
監督、ちょっと静かにしてもらえる?
今いい話してるから!
そういうのは、あとで居酒屋で二次会する時呼ぶから!
また、ぼくが印象的だったのは、千と千尋で千尋が電車に乗るシーン。
このシーンは周りの風景がものすごく美しく、正に世界の最果てという感じで映画の中でも特に印象に残っているシーンの一つです。
宮崎駿監督がいうには、これは千尋に「この世界にもきれいなところはあると知ってもらいたかった」から登場させたと語っていました。
このセリフはとても象徴的だと思います。
社会に出るといやなこともいっぱいあり、千尋も接客においてカオナシが現れたり大変な思いもしましたが、それでも、『きれいなところはたくさんある』。
世界も人間も捨てたもんじゃなく、きれいなところや楽しいことがたくさんあるんですよね。
そういった暗喩かなと感じ、この言葉を聞いてますます『千と千尋』が好きになりました。
この電車は最近、行きっぱなしで帰ってくることがなく、3年後に戻ってくるのか、3日後に戻ってくるのか、それもわからない状態になっているそうです。
―その電車はどこにつながっているのですか?
宮崎駿 普段自分が生きている世界や周りのことに関心を持たない人が、どうして物語の中のことにだけそんなに関心を持つんですか?
徳間書店ロマンアルバム、および折り返し点収録のインタビューより
宮崎駿監督の、ちょっと嫌な感じの返事きました!!
宮崎駿監督は典型的な職人肌・天才肌の人間で、それだけに型にはまらない自由人なのです(注・これは宮崎駿監督の性格をかなり柔らかく表現しています)。
ですから、『もののけ姫』でアシタカにタタリ神がとりつき、全身をざわざわっと黒いものが覆っていくシーンでは、
「ああいうことがよくある、自分で抑えきれなくなって、感情が爆発し、全身の毛穴から邪悪なものがワーッと出てくる感じがすることがある」
とタタリ神は自分の体験をもとにしていることを語っています。(『清流』インタビューより、『折り返し点』収録)
こういうことがよくあるの!?
あなた、タタリ神体験がよくあるの!?
そんなことよくあったらいかんだろ…!!
宮崎駿監督は、自分を
「凶暴な部分や憤怒、憎悪、そういうものを人一倍強く持っている人間です。コントロールがきかなくなる危険な瞬間だってあるような人間なのに、そういう部分を抑えて生活していると、『いい人』だとか思われたりするんです」
と語っています。(『折り返し点』あとがきより)
これこそが、ぼくが宮崎駿監督の作品を愛してやまない理由でもあります。
もしも、きれいな人がきれいなものを作っていたら、なにがおもしろいんですか?
人一倍、どす黒い感情を持っていると語る宮崎駿監督が、悩んだり苦しんだりしながら、長い年月をかけて生み出した映画が美しいからこそ、ぼくはそこに惹かれてしまうんですよね。
そういう作品こそが人間っていうものじゃないかなと思います。
『千と千尋』の話からはそれてしまいますが、そんな宮崎駿監督が作ったからこそ唯一無二の映画作品になっているんじゃないかなと思うんですよね。
宮崎駿監督の人に対するディスりっぷりはまた別の機会に紹介することにしますが、ファン歴も長いので、そういう監督を見ることにも今では少し慣れてしまいました(当事者にとってはたまったもんじゃないと思います)。
ぼくが好きな宮崎駿監督のディスりっぷりをひとつだけ紹介します。
~エヴァンゲリオン・庵野秀明監督の結婚式のスビーチで~
「(前略)あの、えーと…、コレに最初会った時はホントに汚くてですね。24の時だっけ?
ナウシカって作品を僕がやってる時に突然不審な人物が現われて「原画描かせて下さい」って言ったんですよね。
で、もう本人の絵よりもそのキャラクターにビックリしまして、とうとう日本にもこういう変なのが生まれるようになったのかっていう。
えっと庵野は、僕はあの・・・、アニメーションでちゃんとした仕事をやるべきだと思ってる人間で、よく自分で自分達はコピー世代の先頭だからうんぬんってな事を露悪的に、まぁ正直に言ったりしますが、やっぱりその壁越えてやんなきゃいけない才能と責任を持ってる男だと思います。
まぁ多分相変わらず迷走して人の目を眩まそうと色々するかも知れないけれど、基本的にそれに向かってやってもらわなきゃ話にならないと思うので、今後も精進して下さい。
今日はおめでとうございました」
ぜんぜんおめでたくねぇ~~~
でもこれは、宮崎駿監督が唯一、『自分の後継者』として認めている庵野監督へのスピーチでもありますから、愛あるディスでもあるわけですよ…!
あと、エヴァンゲリオンの庵野秀明監督は本当に昔汚い男で、1年間お風呂に入らなかったこともあり、庵野監督がお風呂に入ると一瞬でお風呂が灰色になったというエピソードまで残されています。
庵野監督は、「風呂に入らなくても死なないのに、死なないことを毎日やるのは時間が余っているからだ。俺には余っている時間などない」と語り、もくもくと自分の作品を作り続け、「1か月すぎれば痒みなどはなくなる」と語っています。
いらない情報ありがとう。
でもやっぱり、庵野監督のこの気質を考えると、宮崎駿の後継者はこの人しかいないのかなという気持ちにもなります。
ふたりはどこか同じ匂いがしますよね。
世間では、宮崎駿の後継者は新海誠だと騒がれていますが、売り上げ的にはそうなんですけど、この3人の作品をずっと見ているファンからすると、明らかに新海誠監督はジャンルが違って、宮崎駿・庵野秀明監督は同じところから生まれているんだなと感じます。
庵野監督は、宮崎駿がスピーチで言った通り、エヴァの新作を全然作らず、迷走して人の目を眩まそうとしているところもあると思いますが…。ぼくは宮崎駿の後継者としての庵野監督にも期待しています。
千と千尋への思い
宮崎駿監督のことが好きすぎて話がそれてきました。
書きたいことが多すぎてまったく収まる気がしませんが、宮崎駿監督が語る、千と千尋への思いについて最後に紹介したいと思います。
宮崎駿 最近の映画から成長神話というようなものを感じるんですけど、そのほとんどは成長すればなんでもいいと思っている印象を受けるんです。
だけど現実の自分を見て、お前は成長したかと言われると、自分をコントロールすることが前より少しできるようになったくらいで、僕なんかこの60年、ただグルグル回っていただけのような気がするんです。
だから成長と恋愛があれば良い映画だっていうくだらない考えを、ひっくり返したかったんですね。
徳間書店ロマンアルバム、および折り返し点収録のインタビューより
最近の商業的映画でよくあるのは、仲間との絆、笑いと涙の冒険、その中で主人公はちょっぴり成長する…という、これは夏に公開される子ども向け映画の定番でもあり、完成されたテンプレートだとも言えます。
もちろん子どもはそういうものを求めていますし、親もそういうものを見せたいと思います。
しかしそんなものを作るだけ作っていったら、どれも似たり寄ったり、いつしかつまらないものになってしまうんですね。
この千と千尋は、テーマだけ見れば千尋が異世界で体験する成長物語のように見えますが、制作報告会で「これは成長物語ではない」と宮崎駿監督が否定しているように、そんな物語から少し外れたところに意図が作られています。
では、宮崎駿監督が本当に表現したかったこととはなんなのか。
少しだけそこに触れそうな発言を最後に紹介したいと思います。
―最後に。監督はこの映画を自分の小さな友人たちのために作られたとインタビューの冒頭でおっしゃっていましたが、今の10代の少女たちが本当に必要だと感じているものは何だと思いますか?
宮崎駿 それは簡単に答えるべきことではありません。ただ僕は世界は奥深くてバラエティに富んでいるんだっていうことを知って欲しいと思っています。
君たちが生きている世界には無数の可能性があって、その中にあなたはいる。この世界は豊かなんだっていうことだけでいいんじゃないかと思います。あなた自身も、その世界を持っているって……。
そして僕は彼女たちに「大丈夫、あなたはちゃんとやっていける」と本気で伝えたくて、この映画を作ったつもりです。
徳間書店ロマンアルバム、および折り返し点収録のインタビューより
千と千尋のテーマについてあえて言うとしたら、「自分を信じてほしい」という思いなのでしょうか。
宮崎駿監督によると、千尋は元の世界に戻った後、あの世界にいたことをほとんど忘れてしまっている設定のようです。
それでも心の中にはなにかが残っていき、それはどこかで自分を支えていく。
世界の厳しさ、美しさを同時に見せながら、「あなたは大丈夫、この世界で生きていく力がある」と伝えることは、どこの国でも普遍的な、まさしく世界の子どもに通じるメッセージなのではないかと感じました。
『千と千尋』は、宮崎駿監督が子ども達へのメッセージを強く込めた作品であり、国内映画ランキング1位に輝くにふさわしい映画だと思います。