1984年、2004年と、日本のお札は約20年ごとに入れ替わっており、2024年あたりにはまたお札の人物が入れ替えになるだろうと言われています。
そこで今回は、次にお札の人物が入れ替わるのなら誰になるのか、有力候補と国民の人気候補を紹介しながら、その可能性を徹底分析していきたいと思います。
また、それぞれの可能性を明確にするために、現在のお札の人物がなぜ選ばれたのか、その基準も明らかにしていきましょう。
現在の1万円札、福沢諭吉はなぜ選ばれたのか
参照:Wikipedia
2回連続で最高金額の1万円札に選ばれている福沢諭吉。
一見すると満員電車にいそうな普通のおじさんですが、なかなかどうして、福沢諭吉は1万円札になりそうな理由でパンパンになっている方でもあります。
慶應義塾を作った人間であり、学校や学問の父と言われることは有名ですが、そもそも福沢諭吉は海外の文化を積極的に日本に取り入れてきた人なんですね。
いくつか彼の1万円札になりそうな偉業を挙げてみると、
- 学校を作った
- 銀行も作った
- 保険会社まで作った
と、現在の日本の基礎となるものを多く生み出していることがわかります。
また、それ以外の理由として、
- 顔にしわが多くお札に使いやすかった(偽造しづらい)
という現実的な理由もあります。印刷技術が未発達な時代は、しわやヒゲのある人物は偽造しにくく、選ばれやすいという理由があったんですよね。
旧百円札の板垣退助なんて、ヒゲさえあればいいってもんじゃないぞと言いたくなるくらいヒゲが爆発した人物が選ばれていますから…。
参照:Wikipedia
■印刷技術が未発達だった頃の百円札。ヒゲが2WAYに分かれている人物を選んだのはこれが最初で最後である。
現在は印刷技術が向上しておりますので、しわやヒゲがなくても特に問題ないのですが、昔はこれらもお札に選ばれやすくなる重要な要素のひとつでした。
なんにしても福沢諭吉はお札になるべき理由が豊富な方でもあります。
戦後の日本では、「もう戦争はやめよう、お札に軍人や政治家は選ばないでおこう、いい感じの文化人を入れておこう」という風潮もあり、学校を作った福沢諭吉はお札としてベストだったんですね。
もともとお札は政治家ばかりでしたが、1980年の日銀アンケートで政治家を望んでいる一般人がほとんどいないということがわかり、急速に政治家人気が落ちていきました。
お札の人物は、外国人が見た時にその国を測る重要な要素ですから、いい感じでクレームが来ない人物でないと成り立たないわけです。
こういうところから考えると、次の人物が誰になるのか必然的に絞られてくると思います。
この人がお札になりそう! 有力候補達
お札はその国の顔でもありますから、選ばれるためにはその人物の経歴が今の日本の主義主張に合っているということや、その人が古すぎず新しすぎないという絶妙な位置にある必要性があります。
これは、あまりにも古すぎると日本ではすぐ伝説化したりして、事実以上の謎の偉人パワーアップを遂げていることがよくありますし、新しすぎると若いと言われて批判が出てくるからです。
新渡戸稲造なんかは死後たった51年でお札になったため、「若すぎるのではないか」と物議を呼んだくらいです。没後70年から100年くらいがベストだと言えるでしょう。
参照:Wikipedia
■過去に5千円札になった新渡戸稲造。どこが若いんだよ! 1862年生まれやぞ!
ですから必然的に、次の入れ替え期である2024年の時点で、ある程度の没年期は絞られるはずですし、その中でちょうどいい文化人がお札として選ばれるはずです。
また、昨今の男女平等を志す社会情勢から、必ず1枚は女性が肖像に選ばれることは間違いありません。
そう考えますと、お札になるべき人物はある程度絞られてくるはずなのです。
女性版福沢諭吉? 津田梅子
参照:Wikipedia
福沢諭吉は海外におもむいてその文化を日本に取り入れ、学校まで作った教育者でありますが、それとほとんど同じような経歴を持っている女性がいます。
それが日本での女性への教育や立場を大きく買えた女性、津田梅子。
6歳にしてアメリカに留学し、ヘレン・ケラーやナイチンゲールと出会う中で、女性のありかたや生き方について大きく感化され、今までの日本とは違う新しい考え方を持つようになります。
その文化を日本に持ち帰り、女子英学塾(現在の津田塾大学)を設立。それまでは礼儀作法の延長でしかなかった女性への教育を、初めてちゃんとした『学問』に昇華させ、女性の社会的立場の向上に尽くした人間でもあります。
教師としても愛され、自宅で女学生たちを預かったりして慕われており、日本の女性の社会的立場向上において、欠かせない立役者の1人であることは間違いありません。
福沢諭吉に親しいのに政治色もなく、1929年に死去しているというのが、古すぎず新しすぎず、お札の肖像の選定にはちょうどいい人物だと思います。
もうこれは津田さんで決定じゃないかな? たぶんこの人が5千円札なんじゃないかと思いますけど…
後述しますが、他の人物と違ってスキャンダルが全然ない真面目さがお札として受けると思います。実績があっても、スキャンダルがあるとかなり厳しいのがお札の肖像というものです。
津田梅子は、当時15歳が結婚適齢期だったにもかかわらず、20歳を過ぎても結婚していなかったことに悩んでいたようですが、現代であればまったく普通。
スキャンダルのなさは、むしろ真面目で好感が持てるというものです。
実は何度もお札の候補に選ばれていながら、スキャンダルのために泣く泣く候補を外されている方々もおられます。津田梅子さんが選ばれなければ、その方々の再度指名があるかもしれません。
新渡戸稲造に負けた与謝野晶子が選ばれる?
参照:Wikipedia
1984年の5千円札に新渡戸稲造が選ばれた時、「新渡戸にしようかな? 樋口一葉にしようかな? それとも与謝野晶子にしようかな~」と大蔵省でさんざん迷った結果、最終的に新渡戸稲造を採用した経緯があります。
その後、2004年のお札入れ替え時には、「こないだの敗者復活で樋口一葉でいいだろ」と樋口一葉が繰り上がって5千円に採用されたといういきさつも。
そう考えると、次の5千円では更に敗者復活で与謝野晶子が選ばれる可能性もあります。もともと5千円札の本命と言われていた人なので、そういう可能性もなくはないですね。
もともと与謝野晶子は作家としての人気もさることながら、日本初の男女共学校『文化学院』を設立したりもしていますので、文化人としても非常にいい感じのポジションにある方です。
当時、与謝野晶子の孫が衆議院議員であったことから、お札にすると明らかに孫が得してしまうため見送られたのですが、いろいろなしがらみがなければお札に選ばれるだけの経歴がある女性だと言えるでしょう。
ただ、与謝野晶子はプライベートが元気すぎて不倫もしており、夫婦で夫婦生活を赤裸々に語るなど、ググられるとやばい黒歴史をたくさん持っている人物でもあります。
お札の人物ですがググられるとやばいというのは致命的であり、これまで知名度や人気が高いのに選ばれなかった理由でもあります。
ちなみに代表作は『みだれ髪』、『君死にたもうことなかれ』で、『みだれ髪』はややエロ小説っぽいところもあるんですけど、『君死にたもうことなかれ』は素晴らしい詩です。
「弟よ、戦争で死なないで!」という家族の思いを熱く綴った名文だと思います。
この人の敗者復活も? 平塚らいてう(雷鳥)
参照:Wikipedia
自らをらいてう、『雷鳥』とした明治の女性解放運動家。
自分にサンダーバードと名付ける人が本当にいたとは…!
高級官僚の生まれで美人で、『元始、女性は太陽であった』は今も女性解放運動のスローガンとして有名ですし、戦争に走り始める日本の国家主義に疑問を持っていた賢い女性でもあります。
しかし、疑問を持った結果、その答えを哲学や禅に求め、禅の分野で夏目漱石すらも越えてしまった結果、なんかややこしいことになってしまった人でもあります。
最もややこしいのは、妻子ある教授と恋に落ち、初デートの1ヶ月後には心中未遂(山で遭難)をしたこと。
さらに心中の時にも『禅』を忘れなかったらしく、長く『無言の行』に入り一言も話さなかったり、突然意味不明の質問を投げかけたりしてきたようです。
相手の男性は男性で、明治に流行したデカダンス文学(退廃的文学)に傾倒していたため、ふたりで心中をめちゃくちゃかっこいいと思っていたふしがあります。
彼はちょいちょい小説の中のセリフを実際に使っていたとも言いますから、文学オタクあるあるなんじゃないかと思いますし、初デートの1ヶ月後に心中というのは「それ本気?」と言いたくなってしまいますね。
なにはともあれ、官僚の美人で才女の娘と、妻子ある教授の心中未遂はマスコミでも取り上げられ、数多くのゴシップが飛び交い、らいてうは22歳にして有名人になってしまいました。
らいてうは日本の女性解放運動において欠かせない人物であり、お札に選ばれるべき実績も大きいのですが(実際に候補になっています)、このあたりの心中劇がどう取られるのか懸念が残ります。
日本資本主義の父、渋沢栄一
参照:Wikipedia
有力候補・津田梅子と同時期に没している中で、現代に名を残す大物が渋沢栄一。
経済に詳しい方以外は、「誰やそれ」と言いたくなってしまう人物だと思いますが、『マネジメント』で有名になったピーター・ドラッカーが、「世界の誰よりも早く経営の本質に気づいていた人」として名前を挙げているのが渋沢栄一です。
91歳まで激動の時代を生きた人なので、経歴が常人とは比べ物になりません。
まずスタート時点で徳川幕府の家臣と、『信長の野望』くらいでしかお目にかかれない特殊な出自を持っています。
そこから福沢諭吉らと同様、海外で見識を深めたあと大蔵省に入り、官僚として明治維新の大物たちと明治時代を築き上げ、官僚を退官してからは第一国立銀行の頭取として活躍。
一橋大学や東京経済大学の設立のために尽力するのですが、なんといっても後世にその名を残すのは、その経済や富に対する清らかな精神。
本来、金儲けや資本主義と道徳は一致しないことが多いものですが、渋沢栄一は『仁義道徳に基づいた正しい富』を多くの人々と築くことにこだわりました。
ですから、自分が儲けたお金を社会福祉事業に投資し、彼が関わった福祉や医療の公共事業は600件にものぼると言われています。
現在も埼玉県では、彼と同じ精神を持つ健全な企業に対して『渋沢栄一賞』が贈られているくらいです。
これだけの経歴を残していても、今までお札になってこなかった人なんでしょ…と思われるかもしれませんが、実際は千円札が発行される際、その候補として初代総理大臣・伊藤博文と最後までどちらが肖像になるか競ったクラスの経歴を持つ人物でもあります。
この時に伊藤博文が勝った決め手も、「伊藤博文の顔はヒゲがあって偽造しにくいから」というめちゃくちゃつまらない理由です。
懸念材料として、近年の紙幣には政治家が選ばれませんが、渋沢栄一は国会議員になることを拒否し、大蔵省の大臣に誘われたときもこれを拒否したものの、一時期区会議員をしていたことがあるんですよね。
もちろん地域のためにやっていたことですが、それでも政治家は政治家であり、近年、政治家はお札になりませんので、ここがどう作用するかというところです。
また、埼玉県の地方自治法施行60周年記念貨幣に渋沢栄一が選ばれており、1902年から1904年の大韓帝国(旧韓国)の第一銀行券でも渋沢栄一が使われていたため、2回もお金の肖像になってしまった以上、次もまたあるのか!?という疑問も残ります。
実績としては申し分ないのですが、これ以上お札になったら選ばれすぎという印象もあります。
日本細菌学の父、北里柴三郎
参照:Wikipedia
さきほどの渋沢栄一は日本資本主義の父と言われていましたが、今度の北里柴三郎は日本細菌学の父と言われています。細菌学者としてペスト菌や破傷風の治療法を確立するなど、その実績は申し分のないものです。
しかし、当たり前なのですが、なにもかも難癖のつかない人物などこの世にはおらず、北里柴三郎は、孫が明治製菓の最高顧問をしているという点がどう作用するのか懸念されるところです。
与謝野晶子と同様、お札になることで子孫が明らかに得をする場合、その人物は外されてしまうんですよね。
そう考えると北里柴三郎も危ういところですが、先に紙幣になった野口英世なんかは、その実績が後世になってほとんど間違っていたことが分かったり、学者の風上にも置けない最低の性格だったことなど考えると、野口英世がお札になれるなら北里柴三郎もお札になるだろうと考えてもおかしくありません。
テレビ番組と同じで、お札へのコンプライアンスみたいなものが最近高まってきたため、文化人の誰を採用してもどこかで難癖がつきやすい状態です。
野口英世の場合は、実績も間違いだらけ、性格も最悪なのに、不自由のあった手を抱えながら勉強したという美談と知名度のみがクローズアップされて採用されました。
北里柴三郎も、孫の明治製菓のことはさておき採用されてくれるといいのですが、経済に影響を与える部分があるので難しいのかも知れません。
ノーベルまみれ、湯川秀樹
参照:Wikipedia
『強い力の中間子論』で日本人として初めてノーベル賞をと受賞し、その後「核兵器反対!」と反核運動にも携わっていたため、ノーベル平和賞の候補にまで残ったノーベルまみれの男。
顔写真も、いかにも外国人が想像する日本人の顔であり、ここにフジヤマ、ゲイシャ、スシ、カメラを揃えれば完全に外国人が思う純日本が出来上がると思います。
なんで今までお札にならなかったのかと思われそうですが、この人はちょっと若すぎるんですよね。
さっきの新渡戸稲造でさえ、1933年没で『若い』と言われていたのに、湯川秀樹は1981年没。
1933年でも「若すぎる」と言われる人たちに、1981年じゃあはなたれ小僧だと言われても仕方のないところ。
日本人初のノーベル賞受賞はお札に選ばれるべき偉業なのですが、「核兵器反対!」と反核運動に参加していたことが政治活動だとみなされる場合もあり、政治が毛嫌いされている今、どこまでそれを考慮してもらえるかがキーポイントです。
世界的に反核の流れに移行すれば、逆に湯川秀樹がお札になる可能性も高まります。
しかしアメリカが持っている核の保有数が2016年時点で6,970発もあり、手放す気ゼロかよと言いたくなるほど多いため、湯川秀樹は、年齢的にも時代的にもまだ早いと言えるでしょう。
しかし、日本人初のノーベル賞は色あせませんので、今後いつかお札に選ばれる可能性は高い人物です。
政治活動まったくゼロ! 岡倉天心
参照:Wikipedia
ちょっとでも政治活動するとお札になるのは無理なのでは、という観点から、東京藝術大学の前身のひとつ、東京美術学校の設立に携わった芸術家、岡倉天心などはどうかと考えられます。
政治家でよければ大隈重信などが第一の筆頭と言っていいくらいなのですが、とにかく政治家が嫌われる傾向にあるので、超大物の大隈重信ですらお札には難しい可能性があります。
そこでこの何の政治も行っていない男、岡倉天心。
27歳で東京美術学校初代校長になったという経歴は、とても立派な文化人です。ちなみに『なんでも鑑定団』でよく名前が出てくる画家・横山大観はこの人の弟子なんですよね。
日銀で次のお札を決める際、いつも候補に挙がってきては特に箸にも棒にも引っかからず消える男ですが、こういう政治色のない美術家こそお札にふさわしい時代になってきたのだと言えるでしょう。
たったひとつの問題は、20代のとき、支援してくれていた男爵の妊娠中の妻に惚れてしまい、なんやかんやで恩義を裏切り、なんやかんやで奪ってしまったという経歴があります。
ゲス不倫じゃないですか!!
しかし明治時代なんて今とは常識が違い、こういうことも珍しいわけではなかったのですが、現代からするといかにも都合の悪い事実です。与謝野晶子ですら不倫がひっかかってしまっているくらいですから…。
■関連記事 週刊文春も真っ青な雑誌が明治にあった!黒岩涙香 『弊風一斑 蓄妾の実例』
ちなみに明治時代は英語の教材がないにも関わらず、今とは英語の学び方や意欲が違ったため、英語の達人が多く存在した時代でもありました。
岡倉天心も英語ぺラペラであり、最も有名な逸話が、外国人に
「あんた、何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? ジャワニーズ?」
とからかわれた際、
「あんた、何キー? ヤンキー? ドンキー? モンキー?」
と言い返したというセリフ。頭が良く気が強いことがよくわかるセリフですね。
ここまで現実的にお札になりそうな人物を挙げてきましたが、その時の社会情勢などさまざまな事情によって左右されるもの。
東京オリンピックが影響してスポーツ選手が選ばれるのではという話もあるくらいですからね。
もしかすると、「こんな人物が!?」という意外な人物が選ばれることもあるかも知れません。
次項からは、有力候補ではないですが、国民の人気ではぶっちぎり、「このひとにお札になって欲しい!」と常に挙げられる方々を紹介していきたいと思います。
国民の人気枠! この人達がお札になる奇跡はあるか!?
人気候補No.1、坂本龍馬
参照:Wikipedia
日本人が選ぶ、お札になって欲しい人物No.1は、だいたいどこでアンケートを取っても坂本龍馬になります。
坂本龍馬は一般人の人気が高く、学者の人気が異常に低い人物の筆頭でもあり、その理由はほとんど小説の人物じゃねーかという点が挙げられます。
実際の龍馬の姿はいまだ謎に満ちた部分があるのですが、それはともかく、司馬遼太郎が書いた『竜馬が行く』がめちゃくちゃ良くできた小説であったため、世間では龍馬ブームが起きました。
あくまでも司馬遼太郎は『『竜』馬』と字を変えることにより、「これはフィクションの別人ですよ」、「我ながらかっこよく書きすぎましたよ」と伝えようとしたのですが、ブームになったからには本当も嘘も混ざりあってしまうのが日本というもの。
司馬遼太郎が小説を書くまで龍馬がほとんど無名だったことを考えると、福沢諭吉のようにお札になるのはかなり難しいと言えるでしょう。
ちなみに高知県では、地方自治法施行60周年記念貨幣で一度だけ龍馬の500円硬貨、1000円硬化が作られたことがありました。今ではプレミアがついており、その人気はすさまじいものだったようです。
実在の人物なのか小説の人物への人気なのかは怪しいところがありますが、一般人気は過去の首相らをはるかに上回るものであり、今後もお札になって欲しいと願われ続ける人物だと思います。
お札になることは厳しそうですが、過去に2千円札が発行された際、表は守礼門、裏面は紫式部と光源氏というなんでもありの構成になったことがありましたので、そういうお祭り枠なら可能性があるかも知れません。
参照:Wikipedia
■2千円札は現在製造中止されていますが、お札の表面が建物になったのは1946年の10円札(A号券)以来、54年ぶりでした。
背景の光源氏なんかはほぼ架空の人物であり、こんなもんが出られるなら誰でも出られると思わせた1枚でもあります。
参照:Wikipedia
■ちなみに、こちらが過去に建物が表面になった10円札(A号券)。透かしもなくお札らしくないデザインですが、それは民間企業がデザインしたものだからです。
デザインだけでなく、印刷の一部も民間企業が行っていましたが、そのため不正な偽造が乱発する騒ぎになったいわくつきのお札。
最終的に、表のデザインが『米』に見えないこともないことから、「これは『米国』のことであり、GHQの陰謀ではないのか」と根拠のない流言飛語がとびかって発行中止に。
GHQの陰謀だとして、陰謀している自分の国名をデザインに組み込む必要があるのでしょうか… 今も昔も噂の中身はこのようなものだということです。
若者に超人気、イチロー
坂本龍馬と同様、特に若者にアンケートを取ると常に上位に位置する人気を博しているのが、メジャーリーガーであるイチロー選手です。
彼が残した世界記録は今後数十年は破られないだろうと言われており、完全に日本人の基準を超えた存在であることは間違いありません。
世界的選手であるため、若い世代からお札になってほしいと選ばれて当然だと思いますが、残念ながら当面はイチローがお札に選ばれることはないでしょう。
有力候補の項目で説明したとおり、お札に選ばれるのは没後ある程度経過してからでないと難しいと言われています。イチローはあまりにもピンピンしすぎており、いま40代ですが、一般人の20代に匹敵する可能性すらあるくらいです。
また、今までにもスポーツ選手がお札になったことは一度もないため、イチローが選ばれるのはかなり厳しいともいえます。
もちろん、イチロー選手が引退後、なんらかの活動で文化に貢献し、死後数十年経ったなら、お札に選ばれる可能性も十分残っていることでしょう。
東京オリンピックの少し後にお札が入れ替わるだろうと予測されているので、その影響からスポーツ選手がお札になることもなくはありません。
しかし、イチローはオリンピック時も引退どころか現役である可能性すらあり、我々が生きているうちにイチロー選手のお札が見られることはなさそうです。
ただ、前述したとおり、2千円札の光源氏などはただの小説の主人公ですし、当時の平安時代の人からしたら
「源氏物語の主人公がお札にぃ!? そんなばかな!!」
といった衝撃があるはずで、これは現代に直しますと
課長島耕作が1万円札になったのと同じ程度の感覚だと思います。
そう考えますと、イチロー選手がお札になることは未来永劫ないわけではないですし、記念紙幣などお祭り枠であるならば我々が生きているうちに見られることもあるかも知れません。
ちなみに前例で言うと、アメリカのプロゴルファー、ジャック・ニクラス(ドイツ読みでは『ニクラウス』)がスコットランドの5ポンド記念紙幣の肖像として選ばれたことがありますね。
ジャック・ニクラスはいまも存命中なので、日本でなくとも海外の記念紙幣などにイチローが選ばれたら、ファンとしては最高にうれしいですね。
参照元:eBay
■ジャック・ニクラスの5ポンド紙幣をイギリスのebayで見つけました。すでにプレミアがついているらしい。上段のトイプードルの擬人化みたいな人は置いといてもらって、下段のゴルファーがニクラスです。
これはかっこよさすぎる…イチローもこんな紙幣になってほしいですね。
根強い人気、家康&信長
戦国時代の家康や信長は、いまだに「お札になってほしい」という声が後を絶たない人気の武将たちでもあります。
なぜ天下取りをした豊臣秀吉が省かれているのかというと、彼は朝鮮に出兵した経歴があり、国際社会においてこういう人物をお札にするのはまずいという配慮からです。
とはいえ、家康や信長に問題がないわけではなく、まずお札になるにしては
絵じゃねーか
という問題を解決しなくてはなりません。
本人の写真が現存していないために、どうしても絵を採用するしかないのですが、あまりにも古臭いため、これでお札になれるのかどうか疑問が残ります。
ちなみに日本の若者の中では、信長は
人知を超えた俳優ばりのイケメンか
目もくらむほどの美少女しか許されていない風潮があり、歴史の肖像画なんて、
参照:Wikipedia
一番クオリティ低い絵師を持ち出してきたと言われてもしかたのない側面があります。
また、信長は確かに日本人の憧れる『革新派』の人間なのですが、あまりにも多く人を手にかけすぎたと思います。
徳川家康ですら我が子を処分しており、戦国時代ですから仕方なかったとは言え、今の時代のお札には合わないのではないかと言われそうです。
信長と家康の人気はどこまでも高く、今後も決して廃れることはないと思いますが、現実的にお札になることはかなり厳しいと言えるでしょう。
最高で製造数限定の記念貨幣が限度だと思いますが、それにすら選ばれていないのが、お札になることの厳しさを感じさせます。
最高の人格者、西郷隆盛
参照:Wikipedia
坂本龍馬やイチロー、信長らに比べると人気はやや落ちますが、それでも圧倒的な国民的人気を誇る西郷隆盛。
坂本龍馬のように小説人気というわけでもなく、イチローのように新しすぎず、信長のように「絵じゃん!」という状態でもなく肖像画がありますね。
とはいえこの肖像画も本人のものではありません。西郷は写真を撮ったことがないと明治天皇にも明言しており、現在残されている肖像画は明治政府に雇われた画家エドアルド・キヨッソーネのモンタージュです。
奥さんが西郷像を「こんなのと違う」と言ったことは世間で話題になりました。
しかしそれは浴衣で犬の散歩はイメージと違うという意味であり、キヨッソーネは明治天皇のコンテ画や紙幣、切手の絵も手がける天才ですから、西郷の家族と話し合いながら作ったこの肖像画は、かなり似ている部類に入るそうです。
西郷さんは人間的にも素晴らしい人物で、『龍馬』の小説などではいつも脇役の優しいジャイアンみたいなキャラクターで描かれるのですが、どう考えてもこちらのほうが格上、当時の人が見たら「なぜ龍馬が主役!?」と思うことでしょうね。
実際に福沢諭吉ですらも「天下の人物」と語るほどの人間性の深さがあり、龍馬の師匠である勝海舟も、
「天下の知識があるのはこの俺だが、天下の大事をやり遂げるのは西郷」
と言うほどに人間性を評価されています。明治維新は西郷なくしては考えられません。
西郷の弟の妻の証言が残されているのですが、
「西郷さんは情け深くて優しく、礼儀正しく、一度も怖いと思ったことがありません。見た目は肖像画よりずっとかっこよかった。色白で優しい声の人でした」
とべた褒めされている始末。西郷に関しては、どこをどう調べても人から褒められているという事実しか見つけられないほどに評判がいいです。
最大の問題は、本当に人が良さ過ぎて、いつも濡れ衣をかぶっているということですね。
西郷の死に方にしても、学生運動の指導者として自刃していますが、勝海舟はこのことを振り返って、
「濡れ衣を晴らそうともせず、ただただ、子どもらのなすがままに果ててしまった」
と語っていますが、最も問題なのは死に方よりも、征韓論の中心人物にされてしまっていることです。
当時の日本では、韓国をどうしようかということが議論されており、西郷隆盛は、
「韓国に使者を送って、平和的にやりましょう、おいどんが行きますので」
という『遣韓論』を持っていたのですが、板垣退助は、
「兵隊を行かせて武力で解決する方向でいきましょうや」
という征韓論を持ち出し、西郷は激しく反対していたものの、西郷の死後の自由民権運動で、板垣退助が
「韓国に兵隊を出す、なんやかんやでこれは西郷が中心になっていることですから」
と死んでいるのをいいことに西郷を征韓論のメインキャスターに据えるというびしょびしょの濡れ衣を着せてしまうのです。
■濡れ衣を着せた、ヒゲが2WAYに分かれている男。
参照:Wikipedia
ヒゲ2ーーーウェーーーーーーーイ!!!
なにしてくれちゃってるの!? 死後に人をいいようにして!! 自分は先にお札になっているなんて!!
こうした死後の濡れ衣により、西郷といえば征韓論がイメージされることが多い状態です。
昨今の日本は韓国との外交においてピリピリしていることが多いですから、誤解や濡れ衣がしっかり認知されない限り、西郷がお札になることはないでしょう。
死後まで濡れ衣に悩まされるとは西郷さんらしいです。いつかはお札になって欲しいですね。
今回はお札になりそうな有力候補と人気候補を12名挙げてみました。
他にも過去に候補になった人物として芥川龍之介などが挙げられるのですが、個人的には好きなものの、若くして自殺されているため、絶対にお札になることはないと思います。
せっかく芥川龍之介の『地獄変』とか好きなのにさ!! ちゃんとお札になるように考えて生きてください!!(笑)
歴史上の偉人には書きたいことが多く、書いているうちに1万2千文字に到達してしまうとはぼくも驚きです。
ぜひみなさんも、次のお札の人物が誰になるのか予想してみてください。