突然ですが、週刊文春って怖すぎると思いませんか。
ぼくも最初のうちは、「不倫わるいな~」と思いながら見ている程度だったのですが、「そんなとこまで!?」と何もかも調べ尽くしているそのさまに、最近ではすっかり週刊文春をみるのが怖くなってしまいました。
先日、週刊文春に『君の名は。』の新海誠監督が出ていたときなど、ファンのぼくは心臓が縮み上がり、
「新海監督、なんかやったん!? 次回作どうなるん!?」
と恐怖したものの、単なるトークの紹介だけで終わっていました。そんなんだったらヤフーニュースでいいでしょ!!
いや、新海誠監督に限って、スキャンダルなんてあるわけないとはわかってるんです!
まじめな人だし、ファンの間からは
「いい意味で童貞」
といいも悪いもないだろうという表現で語られる新海誠監督ですよ!
結婚して娘さんがいるのに、これでもなお『童貞』と失礼な言葉で表現される新海誠監督、作品も人柄も純情ってことですから!
そこまで監督を信じられているのに、文春に載るというだけで震え上がってしまうこの始末…。
芸能人の方なんて、週刊文春が取材に来たら思わず延髄斬りでもかましたいくらいの気分になるんじゃないですか?
ぼくが芸能人だったら、週刊文春の記者が現れた時点で、
「はいはいはい、ちょっと待って下さいね~、話は
これに乗りながら聞きましょうかね~」
と、時間を巻き戻しながら話を聞き、言い終わったときには何も起こっていないという状態にしようとすると思いますから…
117ピース ジグソーパズル モーションパズル ドラえもん タイムマシンで行こう!
ここまで現代人が震え上がる週刊文春ですが、かつて明治時代には、週刊文春が真っ青になるほどの強烈スキャンダルコラムがあったことをご存知でしょうか?
その名も、『弊風一斑 蓄妾の実例(へいふういっぱん ちくしょうのじつれい)』です。
自分の出版社でやりたい放題だ!
この本を書いたのは明治時代のジャーナリスト、黒岩涙香(くろいわ・るいこう)。
日本で初めて探偵小説を書いた作家でもあり、かの江戸川乱歩ですらこの方の影響を受けていると語っているくらいの著名な作家です。
見るからにスキャンダルを暴かれてしまいそうな、強いお姿をされております。
彼の執筆した小説は主に海外作品のリメイクだったのですが、『幽霊塔』に至っては江戸川乱歩のみならず宮﨑駿にも強い影響を与え、宮﨑駿は
「カリオストロの城の源流は『幽霊塔』、この小説は通俗文化の王道である」
と語り、ジブリの森美術館では宮﨑駿がデザインした『幽霊塔』が展示されるほど心酔されています。
■関連記事 宮﨑駿が夢中になった、江戸川乱歩『幽霊塔』の魅力
これほど強い影響力を与えた黒岩涙香は、自分の出版社、『朝報社』を持つ社長兼編集長であり、そこから出版された『萬朝報(よろずちょうほう)』には、まさに週刊文春すらも震え上がるようなスキャンダル記事が載せられていたのです。
このスキャンダル記事をひとつにまとめて発刊された本が、
『弊風一斑 蓄妾の実例(へいふういっぱん ちくしょうのじつれい)』。
あまりにも分かりにくいタイトルなので細かく説明しますと、
『弊風(へいふう)』とは、長く続く悪い習慣。
『一班(いっぱん)』は、その一部。
『畜妾(ちくしょう)』は、昔の言葉で妾(愛人)を囲うこと。
『弊風一斑 蓄妾の実例』なわけですから、今風に言うなら、
『業界の闇を完全暴露!愛人を囲っていた男のすべてを完全紹介!』
というところでしょうか?
なんとこの本では、日本の初代総理大臣の伊藤博文含め、各界の著名人たちの、
『こいつらが愛人を囲っていましたので、そのすべてを紹介いたします。愛人は実名で!ついでに住所も書いておくよ!』というもの。
こんなん出してええの!? 住所まで勝手に!!
現代であれば、一瞬のうちに出版社ごと取り潰されていてもおかしくないわけですが、なんと黒岩涙香、このシリーズを510人分も連載し、政治家や著名人の愛人関係を暴露しています。
たてまえは、「女性が愛人になっている現状を変えるため」と発言されていますが、もちろん新聞の売り上げを上げるためのゴシップでもあったはずで、まさに現代の週刊誌の基礎を作った人物だとも言えるでしょう。
この本のとんでもない中身について詳しく紹介していきます。
明治時代の『愛人』とは
まずこの本の内容を紐解くためには、そもそも当時の『愛人』がどういうものだったか知る必要があります。
当時の『愛人』である『妾(めかけ)』とは、今の愛人とはかなり違うもので、政治家だけでなく、一般のサラリーマンでも囲っているケースがよくありました。これは当時の社会事情が関係しています。
この本が出た明治時代は、坂本龍馬たちが活躍した明治維新からもまだまもなく、貧富の差が激しい上に、女性が就ける仕事や職業がとても少なかった時代だったんですね。
そんな時代の『妾』は、現代の愛人とはまったく異なり、第二の妻ともいえるような存在でした。
黒岩涙香の本を読んで分かるのは、
- 妾にしたからには、一生、生活の保証をする必要がある
- 妾の親兄弟に援助を行うこともある
- 妾が自分で収入を得られるよう援助することもある
…というような、現代とは違う、愛人に対する配慮があったということです。
これは経済が発展していない国にとって、所得再分配といいまして、大金持ちと貧困層の格差を緩和する効果があります。つまり一夫多妻のようなものですね。
実際、当時は『妾』になることを望む女性も多かったようですし、『妾』を囲うことは、成功した男性であることを象徴するものだったようです。
それであるならば別に問題ないじゃないかと思われるかも知れませんが、やはりちゃんと妻はいるわけですし、60~70のおじいさんがお金の力で10代の若い女性を囲っているわけで、明治当時から世間ではよく思われていなかったようです。
これらすべてを実名、住所入りで報道していたのが、『弊風一斑 蓄妾の実例』。
今の時代から考えてもとてつもなくセンセーショナルな一冊ですね。
やりたいこと書きたい放題!
この本の中では、数多くの方の実例がそのまま暴露されていますが、初代総理大臣・伊藤博文はかなりひどいと言えるでしょう。
伊藤博文の実例紹介部分を、ぼくが現代語に直したのが以下のようなものです。
「さっそくだが伊藤博文は変態なので、世間に知られている以外にもとんでもない事実があるのではと思っていたが、まさしく秘密の中の秘密と言える事実をつかんだので紹介する。
芝区伊皿子町65番地に田村半助という男がいるのだが、古くから伊藤博文の家で土木請負をしていた。
その関係で、田村半助の長女である喜勢子が伊藤博文の愛人になったことがあった。
喜勢子は伊藤博文に可愛がられ、麻布長坂町1番地にきれいな家を立ててもらったりもしていた。
しかし喜勢子が病にかかり亡くなってしまい、伊藤博文は悲しみながら喜勢子の妹つね子をまた愛人にし、つね子も美人なのでまた可愛がっていた。
しかしこのつね子もまた19歳で亡くなってしまい、伊藤博文はまた悲しみながら、次はつね子の妹で16歳の雪子を愛人にしようと企み、愛人にさせろと田村半助に迫った事実がある。
しかし田村半助も、さすがに娘がふたりも亡くなっていることが気になりすぎるし、雪子も怖がって愛人になりたくないと言う。
そんなことを言えば言うほど、伊藤博文は雪子を愛人にしたくなり、5月16日に行われた喜勢子とつね子の追福法会(冥福を祈る会)では、莫大な金品を田村半助に与えまくり、とてつもなく恩を着せ、田村半助のまわりにいる者9人ほどを権力で操り、あの手この手で愛人にしようと圧力をかけ続けた。
しかし、それでも雪子は愛人になりたくないと断り続けていた。これが先月までの話。
それでも田村半助たちの生活が成り立っているのは伊藤博文のおかげであるから、雪子がいつ愛人になってしまうか分からない状態だ。
今後、雪子の愛人の話がまとまったりすれば、随時報道していく!」
ねぇねぇこんなこと書いていいの~~~~!?!?
相手は初代総理大臣なんですけど!!
一般人の実名と住所出しすぎなんですけど!!
完全におもしろがってやってますよね!!
現代からすると、これだけの暴露を発表しつづけてメディアに残っていたのが不思議でしようがないですが、現代と明治ではさまざまな社会通念自体が異なるものだったようです。
『恩を着せた』のあたりなど、名誉毀損のルーツともいえるような書き方なのですが、黒岩さんはほんと権力者に消されなくてよかったですね…。
もちろん暴露は伊藤博文だけではおさまりません。総理大臣ですらここまでやっているのですから、他の人にもどんどん過酷な追求を行っています。
大作家・森鴎外や、龍馬の師匠の勝海舟まで!
黒岩涙香のスキャンダルを追求する手は決しておさまることなく、日本が誇る文豪である森鴎外や、龍馬の師匠である勝海舟までその愛人事情を暴露し続けています。
森鴎外の部分を現代語に直すと、次のようなものです。
「人気作家の森鴎外……というか、本郷駒込千駄木町の11番地に住んでいる陸軍の軍医監、森林太郎。(完全な本名と住所を公開しています)
彼は、児玉せき(32)を18、9歳の時から愛人として可愛がっていた。
言うに事欠いてこの男、すでに妻と子どもがいたにも関わらず、妻と離婚してせきを本妻にしようとしていたため、母親とトラブルになり、あえなく離婚作戦は失敗してしまった。
しかし森鴎外の母親も、森鴎外がせきを強く愛していることを知っていたため、別れさせようとはせず、せきはずっと愛人にしておけと森鴎外に伝える。
こうしてせきとその母なみ(60)は、彼らのすぐ近所の千駄木林町11番地に別居させ、それ以来、森鴎外の母はふたりにお金を送り続けている」
ファミレスでも大声で喋ったら怒られるレベル、
よくこんなもんを発表して本にしましたね!
森鴎外も、まじめな小説を書いてる裏でこんな事実を発表され、風化するかと思ったら100年後 電子書籍でさらに輝きを増したと知ったら浮かばれないんじゃないでしょうか。
これは本当にすごい本ですよ!!
ちなみに勝海舟も、氷川町4番地に住んでいることを暴露されたあと、妻を旧姓に戻させたことなどを根掘り葉掘り書かれています。
当時はいまほど個人情報に厳しくなかったのだと思いますが、こんなすごいもの、本当によく本にできましたね!
でもいい作家!
これだけ黒岩涙香のことを書いて、いまさら「いい作家!」などと言ってもなんの説得力もないかも知れませんが、黒岩涙香は多くの文学に影響を与えた人間です。
ちなみに黒岩涙香が、日本で初めての探偵小説『無惨』を発表したのが1889年のこと。
シャーロック・ホームズのデビュー作、『緋色の研究』が発表されたのが1887年ですから、日本での探偵小説の開祖になってもおかしくなかったわけです。
残念ながら、海外小説のリメイクやスキャンダル記事などにかまけた結果、そのポジションは江戸川乱歩に譲るわけですが…。
『弊風一斑 蓄妾の実例』は、日本でのジャーナリズムの系譜を知るにあたって本当におもしろい一冊だと思います。
おまけ
『弊風一斑蓄妾の実例』を、Amazonで最初に検索した時に出た画像
黒岩さん、なにこれ。