八木重吉 『秋の瞳』『貧しき信徒』

名前がまったく出てこない詩人

ぼくがこの世でもっとも好きな詩人が、この八木重吉さんなんですけども、正直言ってぜんぜん誰にも知られていない詩人さんですね。

どれくらい知名度がないかというと、それはもう、好きな人を当てるサイト、アキネイターで八木重吉さんを当てさせようとすると、何度やっても当たらず、最終的に一休さんを紹介されましたからね。

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八木重吉と一休さん、当たっているのかどうかと言われれば、

まぁ、そのー、それはあれです、そのー、

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確かに外見上はかなり近いセンいってることは認めます。

かなりの一休さんフェイスです。

ぼくもアキネイターが答えを出した時、「当たってない……!…か…?」と、やや不安になったことも事実。

でもやっぱり違いますから!彼は一休さんではないので!

そんな一休…いや、八木重吉ですが、詩人としてはかなり古く、1927年に亡くなっているので、およそ100年ほど前の詩人だと思って頂いても差し支えないです。

彼の著作はすでに著作権が切れ、自由に引用できるようになっているのですが、今回は彼の人生とともに、その詩作を振り返ってみたいと思います。

病魔に侵された八木重吉

八木重吉の人生は異常に短く、たった29歳で命を落としています。原因は結核。当時としては治らない病気で、多くの方が命を失っていますが、八木重吉も例外ではありませんでした。

詩人としての活動期間も非常に短く、わずかに5年。

本人が生きている間に刊行された詩集は、1冊のみ。

これが八木重吉の知名度を低くさせている理由のひとつでもありますが、もうひとつは、八木重吉最大の魅力である短い詩の中にもあります。

詩なのか日記なのか

八木重吉はとても賢い人だったのか、最初に出した詩集では、若さと闘い、葛藤し、悩みぬいた痕跡が見られます。

ひとつの詩を紹介します。

うつくしいもの

わたし自らのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ あるということが わかりさえすれば、
ああ ひさしくも これを追うに疲れたこころ

初期の詩集には、あまり八木重吉らしい魅力がありません。

この詩なども、「本当に美しいもの」を探して葛藤する主人公が描かれていますが、後期の八木重吉の詩集にあるような魅力がないのです。

八木重吉の詩が、人を惹きつけるものになっていくのは、彼が結核になってからです。

八木重吉が結核になってからの詩は、頭のなかでいろいろと考えていたであろう、理屈やぜい肉が削り落とされ、とてもシンプルな、それでいてとても心に訴えかける詩が多くなっていきます。

ぼくの好きな詩を紹介します。

この 豚だって
かわいいよ
こんな 春だもの
いいけしきをすって
むちゅうで あるいてきたんだもの

素朴な琴

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかね
琴はしずかに鳴りいだすだろう

この『素朴な琴』の表現力は、詩の世界では賞賛されているようで、『秋の美しさにたえかねて、琴が静かに鳴り出す』という部分は、たしかどこかの詩の単行本で紹介されていました。

『豚』という詩はぼくのお気に入りで、八木重吉の視線がとても広く、世界を大切に見ていることが分かる詩です。

初期の詩に比べると、どんどんと、八木重吉の詩はシンプルで肉付けの少ないものになっていきます。

それが魅力なのですが、人によっては、「詩ではない、日記だ」という人もおり、そこが八木重吉をマイナーたらしめる理由でもあるのでしょう。

後期の八木重吉は、子どものことを書いている詩が多くなります。

特に、長女桃子のことはひんぱんに名前が出てきます。

夕焼

あの夕焼のしたに
妻や桃子たちも待っているだろうと
明るんだ道をたのしく帰ってきた

こどもが病む

こどもがせきをする
このせきを治そうとおもうだけになる
じぶんの顔が
おおきな顔になったような気がして
こどもの上におおいかぶさろうとする

ほんとによく晴れた朝だ
桃子は窓をあけて首をだし
桃ちゃん いい子 いい子うよ
桃ちゃん いい子 いい子うよって歌っている

人形

ねころんでいたらば
うまのりになっていた桃子が
そっとせなかへ人形をのせていってしまった
うたをうたいながらあっちへいってしまった
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばいになったまま
胸をふくらませてみたりつぼめたりしていた

子どものことを書いている八木重吉は、とても幸せそうで、詩を読むものにも、美しい情景が伝わってきます。

ほんのわずかな文章の中に、豊かな情景を感じさせるのは、八木重吉の視点がそのようなものに変わっているからでしょう。

その後、病魔が八木重吉をむしばみ、詩の中にもその影響が現れてきます。

冬の夜

おおひどい風
もう子供らはねている
私は吸入器を組み立ててくれる妻のほうをみながら
ほんとに早くよくなりたいと思った

病気

からだが悪いので
自分のまわりが
ぐるっと薄くなったようでたよりなく
桃子をそばへ呼んで話しをしていた

朝目をさまして
自分のからだの弱いこと
妻のこと子供達のゆくすえのことをかんがえ
ぼろぼろ涙が出てとまらなかった

桃子
お父ちゃんはね
早くよくなってお前と遊びたいよ

このあたり、だんだんと、確かに個人の日記のような形式のものが多くなっています。

もちろんこれらに対し、「詩ではない」と言う人もいるのですが、もはや人間の心に雑念がなくなり、余計な感情がすべてそぎおとされ、本当の姿だけが見えるとしたなら、このような詩が生まれるのではないでしょうか?

初期の八木重吉のような、哲学的な考え方や、むずかしい言葉使いもなく、ただただ自分と向き合った時、自然の美しさや子どもへの愛おしさに心があふれることは、人間の素晴らしさだと思います。

花がふってくると思う

花がふってくると思う
花がふってくるとおもう
この てのひらにうけとろうとおもう

母をおもう

けしきが
あかるくなってきた
母をつれて
てくてくあるきたくなった
母はきっと
重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう

果物

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実ってゆくらしい

窓をあけて雨をみていると
なんにもいらないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう

不思議

こころが美しくなると
そこいらが
明るく かるげになってくる
どんな不思議がうまれても
おどろかないとおもえてくる
はやく
不思議がうまれればいいなあとおもえてくる

雨の日

雨が すきか
わたしはすきだ
うたを うたおう

美しくあるく

こどもが
せっせっ せっせっ とあるく
すこしきたならしくあるく
そのくせ
ときどきちらっとうつくしくなる

人や、景色や、いきもの、果実、母親、さまざまなものに対する愛しさや、あたたかい思いにあふれた詩も多くあり、そういった詩を読むと、八木重吉の心情に触れて心があたたかくなります。

同時に、とても暗く沈んだ詩も多く、八木重吉が病魔の中で、多くのものを愛したり、多くのものに希望を失ったりしていた心情がわかります。

風が鳴る

とうもろこしに風が鳴る
死ねよと 鳴る
死ねよとなる
死んでゆこうとおもう

憎しみ

にくしみに
花さけば
こころ おどらん

あさがお

あさがおを 見
死をおもい
はかなきことをおもい

冬の野

死ぬことばかり考えているせいだろうか
枯れた茅(かや)のかげに
赤いようなものを見たとおもった

かなしみ

かなしみを乳房のようにまさぐり
かなしみをはなれたら死のうとしている

八木重吉を見ていて思うのは、彼の姿は人間の本当の姿だということです。

賢かった八木重吉ですが、思いの表現に知性を必要としなくなり、ときに理性を越えてさまざまなものを愛し、ときにさまざまなものを憎み、八木重吉の短い詩は、何万ページもの小説よりも多く人間の姿を語っていると思います。

最後のあたりの詩は、もはやタイトルすらありません。

病床無題

人を殺すような詩はないか

無題

息吹き返させる詩はないか

無題

ナーニ 死ぬものかと
子の髪の毛をなぜてやった

無題

神様 あなたに会いたくなった

この後、八木重吉は29歳の短い生涯を終えます。

八木重吉には、詩の中でも愛したふたりの子どもがおりました。

そのふたりの子どもも、八木重吉が亡くなったあと、どちらも結核で命を失っています。

八木重吉の妻は、夫の看病、詩集の制作、夫の死、子どもの死を見守ってきたわけですが、その悲しみはいかばかりのものだったでしょう?

ぼくは、八木重吉の詩を見るにつけて、短い文章の中に、何十万ページもの小説以上の物語を感じ、胸が熱くなるのです。

踊り

冬になって
こんな静かな日はめったにない
桃子をつれて出たらば
くぬぎ林のはずれで
子供はひとりでに踊りはじめた
両手をくくれたあごのあたりでまわしながら
毛糸の赤い頭巾をかぶって首をかしげ
しきりにひょこんひょこんやっている
ふくらんで着こんだ着物に染めてある
鳳凰の赤い模様があかるい
きつく死をみつめた私のこころは
桃子がおどるのを見てうれしかった

八木重吉『貧しき信徒』

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