現代人が好む、『あるある』ネタ。
あたかも現代人が生み出したギャグのひとつであるかのようですが、実際には200年前からまったく同じもので日本人は遊んできました。
江戸時代の『あるある』ネタこそが、『見立て番付』の中の『嘘八百番付』です。
そもそも見立て番付とは?
江戸時代では相撲が大人気で、相撲のランキング表(番付)を見ることは庶民の楽しみの一つでした。
参照:wikipedia
こうしたランキングを見ながら、現代の野球観戦のように、「あいつはあかんわ」「こいつがいい味出してるわ」などと盛り上がっていたわけです。
江戸時代の人なんて、基本はひまでどうしようもない人たちなので、しゃべくる時間だけは無限にあります。
「相撲がさ…」「こないだ行った温泉さ…」などとしゃべりたい放題しているうち、「相撲みたいに、今日の会話いろいろ番付にしてみよーや!」と遊びが始まっていきます。ちなみに、これを始めたのはやはり大阪人です。
こうして生まれたのが、江戸時代の一大ブーム『見立て番付』でした。
なんでもランキングにしている
参照:wikipedia
こうして生まれた『見立番付』では、江戸の人たちが思う存分、身の回りのものをランキングにしていきます。
『温泉番付』で温泉のランキング表を作り、『浪速節番付』で好きな歌手のランキングを作り、現代のオリコンのように楽しんでいたことが分かります。
どんどんと身近なものをなんでもランキングにするようになり、ついには「あそこのお茶屋の娘が可愛かった」という理由から、『茶屋娘見立て番付』なるものまで作り始めます。
こちらがお茶屋の可愛い女の子を番付した、『茶屋娘見立て番付』。
仕事もせずに鎖国して、こんなことばかりして遊んでいると考えると、
「そんなことのために鎖国させたんじゃありませんよ!!
おとなりのマルコ・ポーロさんを見なさい!!船でいろいろ見てまわっているでしょう!!」
と言いたくなってきますね。
しかし江戸の人たちのおもしろ遊びはこれだけにとどまらず、やがて『あるある』ネタで遊ぶようになっていきます。
嘘八百番付の登場
江戸時代の人たちはノリノリで番付を楽しんでいき、あげくの果てには『嘘八百番付』なるものまで作り出します。
嘘八百番付とは、身近な人々の大嘘発言を集めたランキング。完全に現代の『あるある』ネタを楽しんでいますが、中身はこのようなものです。
嘘八百番付
●「俺…女とか嫌いなんで」とかいう若者の強がり
●「男とかいらないんだよね~」という女子の見栄
●「いや~ご祝儀とかいりませんよ!」という時の「いらない」
●「わしゃそろそろ死にたいもんじゃ」という年寄りのマジ生きたさ
●「うちの子ほんとダメで~…」という時のマジ可愛さ
●「これでやめとこ」という時の「これ」の終わらなさ
●なんでもかんでもとりあえず「体にいい」
●「買わないと損ですよ!」という商品の損はほとんどない
こうしてみますと、現代であっても江戸時代であっても、人間はほとんどなにも変わっていないことが分かります。
「俺…女とか嫌いなんで」は、いまの中二病じゃないですか?
200年も中二病をこじらせているとは…。
一般的に歴史の授業で知られるのは、「どこの武将が勝った」「どこの武将が○○を治めた」というようなことばかりですが、どれもこれも歴史上の有名人のお話です。
現代でいえば、『タモリが『いいとも!』の司会を辞めた!』というようなもので、これを200年後に読んだ時、タモリの凄さは分かりますが、当時の人間のリアルな感情が見えにくい欠点があります。
広く知られていないだけで当時の町人たちの遊びや日記はたくさん残っていますので、今後もいろいろと紹介していくことで、当時の生活を浮き彫りにしていきたいと思います。
200年前の自分じゃん!!という体験も多く、やはり歴史に学ばされることは多いと感じさせられますよ。