世界を変えるのは小さな優しさ。ペイ・イット・フォワードとは

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もしも世界を変えたいなら

あふれるストレスや不安、多くの人びとが苦しい生活をしている現代。

もしも世界を変えたいのなら、そのためにはなにをしたらいいのでしょうか?

政策? お金? 大きな慈愛?

どれもとても大きなものです。

しかしもしも、誰にもなんの条件もなく、今すぐ世界を変えられるとしたら、それは一体どのようなことなのでしょうか?

ペイ・イット・フォワード

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アメリカの方々が日本に訪れた際、大きな感覚の違いに驚くのが、『日本人は見ず知らずの人間に親切にされると疑う』ということです。

彼らの意見によると、「アメリカではボランティア文化も発展しており、誰もが幼い頃から、『人間の環境は人によってさまざまで、格差がある』ということを実感している。日本のように、誰もが同じでなければならないというふうに理解していない。格差があるのだから、余裕があるものが、余裕のないものに『無償で与える』のは当たり前のこと。見返りなど求めない、無償のペイ・フォワード(先払い、先贈り)がある」。

こうした考え方は、常にさまざまなところで顔を出していきます。

アメリカのスターバックスやマクドナルドでは、ドライブスルーなどで「次の人の代金はわたしのおごりで…」という、見ず知らずの人に対するペイ・フォワードが生まれます。

先日も、見知らぬ人にペイ・フォワードされた人が、さらに自分の次の人にもペイ・フォワードし、この連鎖が数日間、750人にもわたって続いたというニュースがありました。

こういった感覚の違いは、もちろん彼らの規範となっている聖書の教えもあり、いつしか常識的な道徳になっていった『無償の愛』というものです。

日本人にも、江戸時代には『恩送り』という文化があり、まずは見知らぬ人に愛情と恩を送るべきという概念がありました。

いつしかそれは失われていきましたが、こういった感覚の中には、まさに自分も周りも変えていく力があります。

みっつの優しさが世界に広がる

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『ペイ・フォワード』という映画の中で、小学校の教師が、生徒である主人公たちにある質問をします。

「世界中の人々を幸せにするためにはなにをしたらいいと思う?」

子どもたちはさまざまな意見を出しますが、子どもらしいものが多い中、主人公の少年は、教師を驚かせる提案をします。

「まず、自分が、見ず知らずの3人の人に優しくする。そして、それを受けた3人が、また別の3人のために優しくする。そうすれば、いずれ、世界中は幸せで満たされる」

こんな回答は教師生活でも初めてだと、教師は感心しながら、ぜひやってみるといいと少年に勧めます。

少年は小さい体で、できることが少ない環境で、せいいっぱいのことをしようと考えます。

まず彼は、路上生活している薬物中毒のおじさんを家に迎え入れ、パーティーを行いました。

おこづかいをはたいて、見ず知らずのおじさんのため、勇気を持って優しさを与えます。

しかし、その場はよかったのですが、おじさんはまた薬物に手を出してしまいました。

他にも少年は多くの『優しさ』を配ろうと必死になりますが、世の中はなかなかうまくいきません。

自分の考えたアイディアは、やはり世界に対しては小さく無力なものなのでしょうか?

小さな優しさなど、かき消されていくようなものなのでしょうか?

そして少年は、クラスメイトがいじめられている『いつもの場面』に遭遇します。

今までなにも勇気が出ず、行動できなかった少年は、ついに勇気を出していじめを止めようと立ち向かっていきます。

いじめっ子はナイフを持っていました。

ナイフは深々と少年の脇腹に刺さり、少年は死んでしまいます。

果たして、少年のやったことは無駄だったのでしょうか?

何の意味もない、子どもの夢物語だったのでしょうか?

しかし、ペイ・フォワードされた薬物中毒のおじさんたちは、感じていたのです。

全く何の縁もゆかりもない自分に、無償で優しくしてくれた少年の思いを忘れられずにいたのです。

いままで自分のことしか考えられなかった彼らが、ふと、何の見返りもなく、困っている人を助けてもいいという気になりました。

おじさんたちは、街で、病院で、あちこちで自分のやり方でペイ・フォワードをつなげています。

それがとある新聞記者にまでつながり、「この優しさの連鎖はどこから来ているんだ?」と気になった新聞記者は、取材の末に主人公の少年のことを突き止めます。

主人公の葬式には、アメリカ全土から多くの人々が集まり、空から降るように優しさを配ってくれた少年のことを、心から悼むになりました。

大河の一滴

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マザー・テレサの言葉の中に、『大河の一滴』というものがあります。

「自分たちに出来ることは決して大きなものではない。

小さなことだけ、まさに一滴ずつ落としていくようなものだけ。

そのことをどれだけ誰かに笑われても、けなされても、馬鹿にされても、ふみにじられても、それでも、最後までそれを続けなさい」

いつしか、そういった一滴は、やがて大きな川を作る一滴になるはずだ、というのが『大河の一滴』です。

ぼくは若い頃にこういった言葉を見聞きし、ずいぶんと感銘をうけたものですが、こうした考え方がビジネスでは通用しないという意見があることもよく知っています。

日本でも海外でも、金がすべてを握る世界で、信じられるものは自分だけであり、誰もが自分のことが可愛い。

わざわざ人のことを考えて行動していたら、破滅してしまい、結局は誰も幸せにならなくなってしまう。

そういった考え方があることも重々承知しておりますが、しかし、海外のビジネスマンの中では、逆に血で血を洗うビジネスの世界だからこそ、ペイ・フォワードが最も重要であるとも言われているのです。

ビジネスの中のペイ・フォワード

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ビジネスとペイ・フォワードは最も遠いものであるように感じられるかもしれませんが、海外のビジネス書を読んでいると、くどいほどにこれらの事例が登場します。

有名な社長が、起業したばかりの自分のために親身になってくれ、あらゆる手伝いを何の見返りもなくしてくれた。

理由を聞いたら、「自分も駆け出しの頃、有名企業の社長にそうしてもらったから」だという。

だから、わたしも、有名になった今、次の世代のために無償でペイ・フォワードをしたいと思う…。

また、ペイ・フォワードにもとづいた関係性は実はとても強い繋がりであり、これによって作られたチームは、日本人の個人主義的なチームよりもずっと強いと言われています。

なぜか日本人は、チームになるとお互いを認め合ったり敬意を表しあうことなく、他人の成功を妬んだり、足を引っ張り合ったりする、『みんな一緒、みんな同じ』でなければならない社会が悪い方向へと顔を出しているともいいます。成功する時も一人で成功することは許さないということです。

ペイ・フォワードによって作られた繋がりは、もともと、人それぞれによって格差があることも前提としています。もともと違う人間なので、環境の違いがあるのは当たり前だと考えられています。

だからこそ、それぞれのできる範囲で他人に優しさを配ることを目的としているのが、ペイ・フォワードです。

苦しい時にはなにもしなくてもいい。長い人生の中で、人に何も与えられない時期があるのは当然のことです。余裕があればやればいい。

そしてペイ・フォワードは、別に小さなことでもなんでもいいのです。人と一緒に幸せになることが目的なのです。

日本のことわざで、『情けは人のため為らず』というものがありますが、これは誤用されることも多いのですけれども、もともとはペイ・フォワードと同じ意味で、『恩送り』を表しています。

人に思いやりを持つことは、その人のためだけではなく、めぐりめぐって自分を幸せにするものだという意味なのですが、海外のみならず、もともと日本でもそのような文化がありました。

いつのまにか忘れられてしまったものでも、そこにはみんなが幸せになるヒントがあるという気がします。

海外のビジネス書でよくペイ・フォワードが謳われているのは、この重要性は日常生活でもビジネスでも、まったく変わりがないということに気づき始めているからです。

優しさは難しいのか

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よく、優しくなることは難しいとも言われます。

思いやりは難しいとか、わからないとか言われますが、人間は不思議なものです。

自分がもらうときは何が嬉しいのかよく分かり、相手に要求できるのに、自分があげるときには、どうしていいのか分からなくなってしまうのです。

しかし、ペイ・フォワードの基本とは、自分が優しくしてもらって嬉しかったことを、人にもしてあげるというシンプルなものです。

打算や計算もなく、ただ、自分が嬉しかったからやる。

誰に見られていなくても、無償で行う優しさには価値があります。

笑われてもけなされても、それでもちょっとやってみようかと思った時の、その一瞬の小さな勇気は、実は世界を変えていくものなのです。

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