2016年6月16日、ついにイチロー選手の日米通算安打記録が、絶対に不可能だと言われていたピート・ローズのメジャー通算4,256安打記録を超えました。
27歳という遅い年齢でメジャーリーグに渡ったイチロー。
当時は日本人のバッターなど存在せず、イチローが51番のユニフォームを着ただけで、アメリカのメディアからは「『51』は偉大な投手ランディ・ジョンソンと同じ番号。これはランディを侮辱する行為だ」とされ、彼の存在はまったく認められていませんでした。
しかしイチローは、誰にも文句を言わせない『新人王&MVP』という形で世界を驚かせ、更に誰も達成できないと言われていた年間安打記録を塗り替えた今、イチローを小さく扱うアメリカメディアはどこにも存在しません。
そしてついに、ピート・ローズの世界通算安打をも塗り替えましたが、ここにきてその記録が国内外で議論になっています。
なぜなら、ピート・ローズの記録はメジャーリーグのみで叩きだした記録ですが、イチローの記録は日本の記録と合算したもの。
アメリカ人は口に出しても出さずとも、野球についてこう思っている人が多いのです。
「日本の野球のレベルはアメリカよりも下。日本の野球の記録とメジャーの記録を混ぜないでくれ」
イチローの日米通算記録には、どれほどの価値があるのでしょうか? 認められるべきなのでしょうか、そうではないのでしょうか?
日本の野球は、高校生レベルなのか?
世界記録を持つピート・ローズは、イチローの奇跡的なプレイを評価しながらも、日本の野球はレベルが低いとも語っています。
その理由として、メジャーで活躍できなかった選手が日本で活躍できた例も数多く、そこから想像するに、日本の野球はマイナーリーグ程度の実力しかないのではないかと言っているのです。
「イチローの高校生時代の記録と合算することはないだろう」というピート・ローズのセリフは、日本野球が高校生レベルだという皮肉でもあります。
実際、アメリカでは日本野球をトリプルAとメジャーの中間程度だという方が多いですし、日本の野球とメジャーリーグではルールも違う上に、メジャーリーガーは日本人からすれば桁外れのパワーを持っています。
しかも、ピート・ローズの言うとおり、メジャーでは才能がなくても、日本でなら活躍できたという選手は多いにも関わらず、その反対の例はまず存在しません。
逆に、日本では輝かしい成績を残した数多くの日本選手が、メジャーの厳しい洗礼の前に膝を折ってきたのもまた事実です。
では、日本の記録を通算するような価値はないのか?
それを簡単には決めつけられない実績がイチローにはあります。
日本の成績よりメジャーの成績のほうが上
イチローが日米通算記録でピート・ローズを超えたことにより、アメリカでも「日米通算を公式記録としてもいいのではないか」と言う人々も現れました。
また、イチローの活躍を本当に知っている人たちは、アメリカ人のコメンテーターであってもこう語ります。
「イチローは、日本の安打ペースとメジャーの安打ペースがまったく変わっていない。これは通算記録に価値があるということではないのか?」
実際、ピート・ローズは24年間の選手生活において、4,256安打という記録を残していますが、これを1年あたりに直すと平均177.33安打。
イチローは、ピート・ローズを超えた本日の時点で、16年目にして2,978安打、1年あたりにすると平均186.13安打であり、完全にメジャーの記録だけでピート・ローズのペースを超えているのです。
また、日本はメジャーに比べて試合数が少ないため、どれだけ毎試合に出場しようとも、200安打以上の記録を残すことが難しくなっています。天才であるイチローですら、日本で200安打を記録したことはたったの1回しかないのです。
しかし、イチローはメジャーに来てから、10年連続で200安打を超えています。
もしも、最初からメジャーで野球をしていれば、とっくの昔にピート・ローズを超え、今よりも遥かに多くの記録を塗り替えていたと想像できるでしょう。
それだけの価値がある選手であり、それこそが日米通算安打について議論させる理由になっているのです。
他国の記録をどこまで受け入れられるのか
アメリカで、イチローの通算成績を認めてあげようという人達は、かなり心が広い方々だと言えるでしょう。
実際に我々日本人は、今までもこれからも、どれだけ他国の記録と日本の記録を合わせて受け入れることができるでしょうか?
台湾や韓国で500本塁打を打った選手が、日本に来て400本塁打を放った時、それを「王を超えた」として受け入れられるのかどうか。
相撲界は多くの選手が外国人になっていますが、長く外国人が横綱になることを認めていませんでした。
「外国人を日本の横綱にしていいのか?」と言われ続けてきたわけです。
出身だけではなく、人種が違うと体格も違うなどと言った不公平論は、相撲だけでなくすべてのスポーツにおいてありますし、国家をまたぐとルールも違う以上、同じ記録を認めることがフェアなのかどうかも分かりません。
これまでの慣例で言えば、当然ながらイチローの公式記録はメジャーでの安打のみであり、日米合算は参考記録でしかありえません。
それだけのことでなぜ、ここまで議論が白熱するのか。
それはすでにイチローがメジャーや日本という垣根以上に、時代を超えた別格の選手だという実績があるからです。
262安打は出せるはずのない記録
イチローが出した262安打は、本来であれば絶対に誰にも出すことができないはずの記録でした。
そもそもジョージ・シスラーが過去に保持していた257安打は、100年も前の記録であり、今とは野球のルールがまったく違うのです。
当時はストライクとカーブしか球種がなく、しかも同じピッチャーが投げ続けることが当たり前とされていた時代、ピッチャーのクセを掴んでしまえば、才能のあるバッターは大量に安打を生み出せる時代でもありました。
それに比べて現代は球種も複雑で、1試合に何度もピッチャーが入れ替わることは当たり前になっています。
実際、メジャーリーグ年間安打記録のトップ10は、イチローを1位として、残りの9人が全員1930年以前の選手であることからも、100年前の257安打は絶対に塗り替えることのできなかった記録であることが分かるでしょう。
これまでこの記録は、今よりも甘かった過去の野球だからこそ達成することができていた、言ってみれば飾りのような記録だと思われ続けていたのです。
もしもそれを超えることのできる選手が現れたら?
そんな選手は完全に常識の規範を超えており、過去の記録においても軽視できない価値があるのではないかと考えるのは、それほど不思議な思考ではありません。
それでも公式記録としては認められない
イチローは仮にたった今野球を引退したとしても、すぐさま殿堂入りするような高い評価をアメリカ野球界でも得ています。
262安打のことは誰もが知っていますし、イチローの海外の呼び名は『Wizard(魔法使い)』、イチローが守るエリアは『エリア51(UFOなどが目撃されたアメリカ空軍基地の名前)』と呼ばれ、「不思議なことが起きる場所」とファンはその活躍に胸を躍らされています。
イチローは確実に日本人初のメジャーリーグ殿堂入りを果たしますし、これほどの選手は、世界中を見ても今後50年以上まず現れることはないでしょう。
それでもイチローの日米通算記録は、公式記録としては認めないという人間がアメリカでは圧倒的多数を占めています。
この理屈では、アメリカで生まれて、アメリカでずっと野球を続けてきたものしか記録を残せないということになりますが、実際にこれはその通りで、メジャーの大記録はその状況でなければ達成することはできません。
国際間でルールも違う以上、これに関しては飲まざるを得ない事実です。
しかし、やはり野球を深く知っていれば知っているほど、イチローの通算安打の価値が非常に重いことはよくわかっています。
バリー・ボンズは「イチローは日本にいたことが間違いだった」と発言していますし、イチローが日米通算4,192安打(メジャー2位)を達成した際には、通算記録であり、スコアボードで何の紹介もしていないにも関わらず、敵地セントルイスから祝福の歓声が上がりました。
アメリカの野球ファンは、日本のファンと同じように、「もしもイチローが最初からメジャーリーグで活躍していたら…」という想像をして楽しんでいます。
これはまさに偉業であり、イチローが引退して殿堂入りした後、この日米通算記録は更に輝くことになるでしょう。
イチローの記録は公式記録にはなりませんが、いずれ、野球ファンであれば誰にとっても価値のある記録になるはずです。
追記
長年ヤンキースでキャプテンを務め、ファンからも選手からも深く愛されている選手、デレク・ジーター。
彼は現役メジャー最高安打数3,000本超えを誇る天才であると同時に、監督から「どうしたらこんな人間ができるのか」と言わしめるほどの人格者でもあります。
黒人と白人のハーフであることから、幼いころは苦しい経験もしたと言われていますが、その人格は誰よりも優しく、学生時代から「どこにでも溶け込み、誰にでも愛される人間」だと高く評価されていました。
天性のキャプテン気質を持っており、負けてしまった試合では、報道陣からの質問をすべて受け、報道陣がいなくなるまでその場から動くことはないと言われています。
しかし、自分の活躍でチームが勝利した際にはあっというまに帰ってしまい、その理由を問われると、「自分より活躍した選手がいるから、そちらに脚光を当てて欲しい」と謙虚に答えます。
現役最高の3,000本安打を誇りながら、チームがすべてという考え方なので、自分の記録を取材されることを極度に嫌がり、自己記録に対しては見向きもしません。
それでいて、他人の記録は敵であっても賞賛を送り、自分のチームに新人が入れば、英語が話せなくても積極的に輪に入れるように配慮したりと、まさにメジャーリーグにおいて実力・人間性のすべてを兼ね備えたスーパースター。
その優しさに、松井秀喜らもジーターのことを慕ってやまないと言われています。
そんなデレク・ジーターが初めてイチローと対戦したのは、イチローがメジャーデビューしたてのルーキーだったころ。
イチローが放ったゴロをジーターがキャッチし、投げようと思ったその瞬間、もう1塁に届こうとしているイチローの姿を見て、ジーターは驚愕しました。
「あんなに速いとは思わなかった。テレビで見るより、ずっと速い」。
敵として出会ったイチローへの衝撃は大きく、足が速過ぎるために守備の位置を変えなければならないほどで、常に強烈なプレッシャーを与えられていたと語っています。
やがてイチローがチームメイトになると、イチローはただの天才ではなく、とてつもない努力家であることに気づかされ、彼への思いは尊敬に変わったといいます。
「イチローは、日本にいる誰よりも、メジャーにいる誰よりも、あるいはその両方の誰よりも安定している」と語るジーターは、イチローの日米通算安打記録に対しても、こんなコメントを寄せています。
「一番大事なのは、イチローが40歳をとうに過ぎた現在も、メジャーリーグに革命を起こし続けているということだ。
彼のような誰もが認めるスーパースターを輩出した日本プロ野球が、レベルが低いなんて思うはずがない。
ヒデキ・マツイ(松井秀喜氏)やヒデオ・ノモ(野茂英雄氏)、ユウ・ダルビッシュ(ダルビッシュ有)、コウジ・ウエハラ(上原浩治)……。
イチローだけでなく、大勢のスーパープレーヤーがメジャーリーグで昨今プレーしている。その彼らの“母体”となった 日本プロ野球で築き上げたイチローの素晴らしい記録を『無』にすることは愚の骨頂だ。
日米通算安打の記録はシンプルに評価するべきだと思う。日本プロ野球のレベルが低いと見る風潮はオールドタイマー(時代遅れの人)たちの論調だろう」
メジャーリーグの現役選手の中で、最高の安打数を誇っているのがデレク・ジーター。
イチローの通算安打数を認めてしまえば、みすみす自分が現役2位として評価されてしまうということですが、それでもこういったコメントを寄せるところに、ジーターの懐の深さが垣間見れます。
ジーターの優しさはともかく、現在の日本の野球がメジャーと同格であるかどうかには、日本人であっても疑問が残るところでしょう。
しかし、ジーターの話の主旨は、日米野球のどちらが優れているだとか、どちらが劣っているだとか、そういったことではないのです。
『今回の記録にあたり、いろいろと意見があるだろうが、すごいものはすごい。それは素直に認めようじゃないか』というジーターらしい意見です。
スーパースタープレイヤー・ジーターが言うからこそ、このセリフには説得力があり、そして、イチローの日米通算記録を語るにあたり、それが公式記録であってもそうでなくとも、これ以上的を得た言葉はないとも言えるでしょう。