SF小説の新しい傑作!『ハリー・オーガスト、15回目の人生』

ハリー・オーガスト、15回目の人生 (角川文庫)

年老いたわたし… ハリー・オーガストの体は、深刻な病に侵され、まもなく死を迎えようとしていた。

なにもない死。

すべてが無になる死。

このまま二度と目覚めることなく、わたしは死んでいく…はずが、次に目覚めたときの『わたし』は、なんと赤ん坊の姿にまでさかのぼり、同じ人生がもう一度始まろうとしていた。

なぜ自分は同じ人生をまた繰り返すことになっている?

なぜ時間がまた元に戻っているのか?

わたしはパニックになり、幼い体のまま、周囲に自分の転生を必死で訴えた。

1920年代当時、そんな話を信用する人間はどこにもおらず、わたしはそのまま精神病院に入れられ、自分の身に起きた現実を受け入れることが出来ず、わずか7歳にして自ら命を絶った。

…はずだった。

しかしまた、次に目覚めたときのわたしは赤ん坊であり、あの日あの場所、生まれたままの自分に戻っていた。

これはなんなのか?

一体、自分になにが起こっているのか?

転生を繰り返すたび、衝撃は諦めへ、努力は虚しさへと変わり、人生のすべての記憶と知識を持ったまま、同じ人生を繰り返す日々が続いていた。

そんな中、ふと、最愛の女性に、出来心で自分のことを告白する。

「実はわたしは、未来のことが、なんでもわかるんだ――」

身近な未来をなんでも言い当ててみせたわたしは、第2次世界大戦の中、未来の情報を血眼で欲しがっている軍部に目をつけられてしまう。

軍部の人間はわたしにこうたずねてきた。

「君は、古来からその存在が噂されている、『クロノス・クラブ』の一員なのか?」

『クロノス・クラブ』とは、紀元前から文献の中に存在し、まるで、『その人生を何度も体験しているかのように』危険を予知し、避けられないはずの災害を逃れている人間たちがつどう、秘密クラブのことだった。

そんなクラブは知らない、見たこともない――。

しかし軍部は決して自分を逃さず、軟禁状態にし、未来のすべてを知ろうと詰め寄った。

危険を感じたわたしは逃走するも、軍部から逃げきることはできず、二度目に捕まった時、軟禁は監禁に変わり、尋問は激しい拷問へと変わっていた。

毎日続く拷問の中に心は折れ、拷問者にひざまずき、泣いて許しを乞う毎日で、未来のことをなにからなにまですべて話してしまう。

そんな拷問の中、逃走中にわたしが送った新聞の個人広告欄への広告が掲載された。

1973年9月28日の新聞に掲載されたその広告の内容は、次のようなものだった。

『クロノス・クラブ

私の名はハリー・オーガスト

1986年4月、4号炉がメルトダウンした

助けを乞う』

1973年に、チェルノブイリのメルトダウン事故を知っている人間はこの世にいない。

いるとすれば、自分と同じ、転生を繰り返している者だけ…

この広告が掲載されて数日後、拷問を受け続けるわたしの前に、謎の女が姿を現し、小さなペンナイフを差し出した。

「あなたがあんな広告を出したおかげで、こっちは大変よ。1940年、7月1日の午後2時にトラファルガー広場で会いましょう」

なんと待ち合わせに過去の日付を指定し、ペンナイフは太ももに使え、と言ってくる。

それは自分に大腿動脈を切って命を落とし、転生せよという意味だった。

拷問に苦しむわたしは、なんのためらいもなくペンナイフを使い絶命した。

そして、繰り返される5回目の人生で、ついにわたしは謎めいた『クロノス・クラブ』と出会うことになる…。

ループ物SFの新しい地平線

以上は、『ハリー・オーガスト 15回目の人生』の導入部分を簡潔にまとめたものですが、主人公のハリーは繰り返される5回目の人生で、秘密クラブ『クロノス・クラブ』と出会うことになります。

『クロノス・クラブ』に所属しているのは全員、ハリーと同じ転生を繰り返す者のみ。

そんな転生者たちは、誰もがハリーと同じように最初はパニックになり、混乱を引き起こしてしまうものですが、『クロノス・クラブ』は転生者たちが集まって、転生者同士の助け合いを目的とするクラブでした。

転生者がお金を稼ぐことは何よりも容易いこと。

競馬の勝ち馬、成長する企業を『死ぬ前に記憶しておく』だけで事足ります。

そして、転生者たちが集めたお金を資金として、新しい転生者たちのサポートにまわり、クロノス・クラブは数千年の時間を超えて繋がっていきました。

彼らは超能力を持っているわけではなく、ただ同じ時間を繰り返すだけですが、そんな人間が複数集まると、まったく様子が変わってきます。

仮に2020年の時点で7歳の転生者Aがいたとすれば、彼の寿命が80年だとしても、2090年ごろまでの歴史を知って転生し続けていることになります。

2020年に80歳の転生者Bは、当然そんな先の未来のことは知る由もない。

しかし、7歳の転生者Aから2090年の未来を教えてもらえば…?

なんとBは、転生した1960年の世界に、『2090年の知識を持ち帰る』ことができるのです。

これを複数の転生者で繰り返せば、なんと現代に生きながら、無限に遠い未来と、無限に遠い過去の出来事を、伝言ゲームでつなぐことができます。

このようにして『クロノス・クラブ』は、悠久の時を共有しながら、「歴史は変えるべきではない」という考え方のもと、自分たちがただ静かに生きるため、お互いに協力しあって無限に繰り返される人生を過ごしていたのです。

ハリーたちの静かな暮らしがおびやかされたのは、ハリーが11回目の人生の終えようとしているとき。

いつものように病に倒れ、いつものように死を待っていた時、数千年先からの伝言を持ってきたという少女が枕元に現れます。

「世界の終わりが急速に速くなっている。未来のわたしたちには止める方法がない。

あなたたちの世代で何かが起こる。

あなたたちの世代の誰かが、何かを起こそうとしている――?」

いったい誰が、この世界を壊そうとしているのか?

転生者にとって、歴史を変えることは究極のタブーであるはず。

なぜなら、死ぬことを恐れず『死』という概念がない転生者ですが、歴史が変わってしまって『自分が生まれなくなる』ことだけは、転生者にとって永遠の死を意味するからです。

多くの転生者を命を奪ってでも、歴史を変えようとする人物の目的はなんなのか?

彼は何者なのか? 彼を止められるのか? 彼を、殺せるのか?

こうしてハリーは、何度も転生を繰り返しながら、自分の最愛の友人であり、最大の敵である男と、数百年の時を超えた戦いを繰り広げることになります。

転生をするたびに罠を張り巡らせ、相手を騙し、裏切り合う…

本当は信頼する者同士でありながら、世界のため、目的のため、お互いのすべてを奪い合う…

この物語は、ふたりの友情と愛憎の一大スペクタルであり、誰も思いつかなかったループ物SFの新しい地平線です。

この小説の信じられない魅力

この小説の作者である女性は執筆時27歳という若さですが、14歳にして書き上げた小説で商業デビューした実力派であり、すでに小説家歴は13年近いベテラン。

使い古されたはずのループ物の新しい境地として今作はイギリス国内で絶賛され、数多くの賞を受賞しました。

全編にわたる豊富な知識は読者をうならせ、これが本当に若い女性作家のものなのか、3回くらい転生したんじゃないかと疑わせてしまうほどです。

物語は、総計15回転生するハリーの主観で描かれるため、時にまどろっこしく、時間軸が混ざり合って語られますが、数百年も生きていればこうなるのかなと思わされる、繊細な表現方法だともいえます。

また、この物語は主人公であるふたりの男性の愛憎劇でもありますが、男性同士の愛憎を描くことは男性作家にはあまりないため、ヘヴィーな内容の中でも唯一の女性的な作風です。

ネットの評判では、この作家は海外版の腐女子では?というような意見もありましたが、腐女子にしては、登場する主人公の男性がふたりとも不細工のおっさんという救いようのないカルマを背負っているため、男性のぼくも耽美性を感じず楽しめたと言えるでしょう。

両方が目もくらむようなイケメンのほうがテンションは上がったと思うのですが、主人公は変な鼻の男、宿敵は小太りのハゲと、せめてもうちょっとどうにかしてから小説に登場しろと言いたくなる人物であったために、結果的にふたりの数百年の時を超えた愛と憎しみを純粋に堪能できました。

ふたりの結末には達成感も感じながら、大切なものを失ったような虚無感も感じさせる、本当によくできた小説です。

ぼくはSF物が大好きで多くの作品を読んでいるのですが、ループ物に関しては使い古された感があるため、この新しい切り口には心底驚かされ、作者の発想力に感心してしまいました。

SFが好きな方にもそうでない方にも、胸を張っておすすめできる傑作です。

SF物特有の、時間への命題

この物語は、作者の並々ならぬ力量で多くの新しいエッセンスを加えて書き上げられており、『クロノス・クラブ』を含めたその発想力には感嘆の一言なのですが、やはりループ物を扱うSFに共通して、時間の設定に戸惑いやすいところがあり、読者の間で議論になっていますので、自分なりの考察も書いておきたいと思います。

冒頭で紹介したあらすじで、謎の女性がハリーに、『過去の日付での待ち合わせ』を持ちかけるという転生者にしか出来ない方法がありましたが、この作品で一番読者を戸惑わせるのが、それぞれの時間軸の概念。

小説の中ではお互いに転生した後、うまいこと指定した日付で出会えましたが、この世界の人達の時間や世界は常に同一なのでしょうか?

仮にハリーが転生後、「待ち合わせの年まで生きて待っとこう」と思いきや、7歳くらいで不慮の事故により死んでしまった場合、また0歳からリセットされますが、その世界では女性の待ち合わせ場所には誰も来ないわけで、次に会うためには、女性もまた転生した後でないと会えないのかという疑問です。

そうなると、うっかり若くして何回か死んでしまった場合、

「ごめ~ん、またせちゃった? 300年くらい!」

ということが平気で起こりますし、おっちょこちょいでよく死ぬ転生者にお金を貸したりした場合、

「こないだの3000円返して~、数十年前のことだから憶えてるっしょ」

と言ったところで、借りた方は1000年くらい前の話感覚的に平安時代くらいの話をいきなりされたということも起こりえます。

お互いの転生時期や回数にずれがある人たちが何百人もいる中、世界はどのような形で動いているのでしょうか?

4回目の人生でハリーは軍部にぺらぺらと未来のことをしゃべってしまい、歴史が変わりそうになりますが、これは謎の女性が裏で手を回して解決させたと予想されるものの、世界中に数え切れない転生者がいる以上、意図しない歴史の変化はなかなか止められないはず。

物語の中では、ハリーの行動によって明らかに歴史が変化するシーンがあり、自分を中心としたパラレルワールドが無数に形成されるというSF古典の考え方もできます。

その考え方ならばどんな物語でも話に矛盾はなくなりますが、SF特有の疑問で、こっちのワールドのことだけ考えてていいのという議論が巻き起こります。

逆に言うと、たとえ世界が終わるという警告を受けたとしても、それは俺ワールドの話であり、あんたワールドではまったく世界は終わっていないため、俺ワールドが納得してるなら、別にそれはそれでいいというSF究極の命題へと突入します。

やはり、世界はたったひとつしかなく、毎回全員の転生者が1回死んだことを1カウントとして、新しい世界に変わっているという説を取りたいところです。

今回の物語としてはこっちのほうがありそうで、おそらく、世界は転生者全員の死で一巡していくのでしょうね。

不死の転生者であっても、世界はたったひとつしかなく、わずかな行動が歴史に影響を及ぼし、『次の世界』をも変えるのだと考えれば、この小説のすべてのストーリーに整合性が取れる気がします。

個人的には、パラレルワールドよりも含みが多い、こちらの設定のほうがぼくの好みです。

昔のSF小説では、ファン同士が語り合った結果、いつのまにか作者よりも深く作品を補完していることがよくありましたが、こうして長く語り合ったり考察ができるのも、優れたSF小説の大変な魅力だと思います。

スポンサーリンク

最後まで読んでいただきありがとうございます。記事が面白かったらシェアしていただけると嬉しいです。

フォローする

スポンサーリンク