26歳の工業デザイナーだったパット・ムーア。
彼女は、高齢者向けのデザインについて深く知るために、自分が『高齢者』になって社会で生活してみるのが一番いいと考えました。
そんなふとしたアイディアから、26歳の彼女はメイクをし、変装し、『高齢者』として社会で過ごすことを試みるのです。
彼女は高齢者さながらに老人への虐待や差別を体験し、その時の苦しい体験が、現在の『ユニバーサル・デザイン』を生むきっかけとなりました。
彼女は著書の中で、こう書き綴っています。
「バリアフリーなど、『高齢者向け』に考えるデザインの必要性はある。しかし、『高齢者』という特別な人間は誰ひとりとしていない。彼らが最も求めているものは、『高齢者』という特別な枠ではなく、自分と変わらない存在として接してくれることだ」
彼女は著書のラストで、亡くなった認知症の老婦人が残した、あるメモを引用しています。
誰からも見つめられなかった、認知症の老婦人のメモ
イギリスのヨークシャーにある老人病院で亡くなった、ひとりの認知症の老婦人。
認知症のせいなのか、話しかけることに答えない。
普通にするべきことが、できない。
こちらの言葉が正確に分かっているのかどうかさえも、よくわからない。
認知症という言葉もなかった時代に、老婦人のことは「そういうものだ」と誰もが諦めに近い感情を持っていました。
老婦人が亡くなった時、老婦人の持ち物の中から、1枚のメモが見つかったのです。
そのメモは、老人病院の看護婦たちに大きな衝撃を与えました。
何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく
目をうつろにさまよわせて
食べ物はぽろぽろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」といっても
あなたのしていることに気付かないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたが考えていること、あなたが見ているものではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見てはいないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるままに起き上がるこの私が、
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか
わたしは十歳の子供でした。父がいて、母がいて
きょうだいがいて、皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁、守ると約束した誓いを胸にきざんで
私の心は躍っていました
二十五歳で私は子供を生みました
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした
三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子はお互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました
五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました夫が死んだのです
先のことを考え――不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました
いま私はおばあさんになりました
自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優雅さも気力も失せ、
かって心があったところには今では石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心は膨らむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに遠く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです
だから目を開けてよ、看護婦さん――目を開けてみてください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよくみて!
すべてに共通するもの
26歳のパット・ムーアは、老人のメイクをし、老人社会に飛び込むことで、考えられないような体験をしたと語っています。
自分が老人になった時のことなんて、大体想像がついているものだと思っていた。
でも、全然違っていた。
私達が出会う、ほとんどの高齢者たちは、訴えられない言葉で、何とかして「もっと、私をよく見て!」と言っているのだと思う。
しわを見ないで。
老人をひとくくりにしないで。
じっくりと時間をかけて、ありのままの私を見てください…!
パット・ムーアの、老人に変身した3年間の経験は、現在の社会で一般的に使われている『ユニバーサル・デザイン』が生まれるきっかけとなりました。
パット・ムーアがいうこの『高齢者』とは、本当に『高齢者』だけのことなのでしょうか?
女性でも子どもでも、高齢者でも障がい者でも、誰もが社会の中で持っている感情なのではないでしょうか?
デザインの世界は進化し、バリアフリーを用いたユニバーサル・デザインが当たり前の時代になってきています。
わたしたちの心は、デザインほどに壁をとりはらうことができているでしょうか?
誰もの心にそれができたなら、この世界は今よりきっと、もう少し優しくなるということを、パット・ムーアの体験は気づかせてくれています。