100年前に南極大陸で遭難、船を失い、近代装備も食料もなく22ヶ月…!それでも28人全員が生還した、『そして奇跡は起こった』

南極探検隊員募集

求む男子。
至難の旅。
わずかな報酬。
極寒。
暗黒の長い日々。
絶えざる危険。
生きて帰る保証はない。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。

アーネスト・シャクルトン

100年以上前に、ロンドンの新聞にこんな広告が打ち出されました。

1900年ごろのイギリスは、南極点に到達するため10年間で3度も探検隊を出すものの、いずれも失敗。隊員全員が死亡するなど苦い経験をさせられた上、たった35日の差でノルウェーが先に南極点に到達してしまったのです。

南極大陸は、地球上で最も過酷な場所です。

3メートルほど海の表面が凍っているだけの北極とは違い、南極には大陸があり、大陸の上に凍りついた氷の厚さは3キロメートルにも及びます。

この3キロメートルの氷の重みで大陸の形は押しつぶされ、すさまじい嵐の原因になり、地球全体の天候にも影響をあたえるほどです。

冬は氷点下マイナス70度。

台風を超える、地球上で最も激しい秒速90メートルもの暴風が吹き荒れ、その寒さからアメリカ大陸の2倍の広さの海が凍りつきます。

1900年当時、日本では坂本龍馬が活躍していた時代に、まさに『地球の底』と言われていた南極は、人間が決して立ち入ることの出来ない唯一の場所としても知られていました。

そんな中、イギリスの探検家・アーネスト・シャクルトンが考えだした新たな挑戦は、南極大陸を横断すること。

『地球の底』と表現されるにふさわしい死の場所である南極を、なんの機械も持たず、人間が徒歩で横断するというとてつもない試み。

生きて帰れる保証がない上に、成功しても、たいした報酬があるわけでもない。

ただ、勇気があるものを募ったこの挑戦は、世界的に有名になりました。

当初の計画は、28名の探検隊が船で南極大陸まで旅立ち、徒歩で南極大陸を横断、ゴール地点には物資を積んだ『迎えの船』が到着しており、隊員たちを乗せて帰るというものでした。

ある者は勇気をいだき、ある者は「自分の記録は後世に残る」という夢をいだき、まさに地獄である南極大陸へと、船で旅立っていきます。

誰も想像していませんでした。

南極大陸まであと320キロというところで…周囲の海が凍りつき、船が氷の中に閉じ込められ、氷の圧力で船はねじれあがり、壊れて沈没してしまうことなど…。

南極大陸の手前の、ただの海の氷の上で、28人全員が取り残されてしまうことなど…。

さらに、ゴール地点に設営して迎えてくれるはずだったロス海支隊は、とてつもない悪天候にはばまれ、十分な設営をすることが出来ず引き返していたのです。

このことは、携帯電話などがない当時、彼らは知ることすら出来ませんでしたが、事実上、シャクルトン探検隊は全員死亡してしまうだろうと言われていました。

南極大陸にたどり着くことすら出来ず、海の氷の上に取り残され、仮に今から南極大陸を横断できたとしても、迎えもなく、ただ死を待つだけ………。

隊員は絶望的になり、誰もが死を覚悟して来ていたはずなのに、いざ本当に死ぬとなると、集団がパニック状態に。

「俺に話しかけないでくれ!!」

「もうほっといてくれぇぇぇ!!」

と慌てふためいたり、

「もう俺達が生きて戻れることはないんでしょうね!!」と、シャクルトン隊長を責め立てるものもいました。

これほどの絶望的な状況で、なんと22ヶ月もの間、マイナス37度の南極付近で彼らは生き抜き、なおかつ、1人の死亡者も出さずに全員が生還するのです。

彼らは南極大陸横断の目的を果たせませんでしたが、人類がかつて経験したことのない困難な状況を全員で乗り越えたとして、彼らの勇気と、アーネスト・シャクルトンの強力なリーダーシップは今も讃えられています。

 生き延びろ、人間にはその力がある

南極大陸に辿り着く前に、海の上で船が沈没する……。

この状況においても、シャクルトンは常に冷静で、これが大きなトラブルだともとらえていませんでした。そして、隊員全員に「余分な荷物をすぐに捨てろ」と命令し、一番最初に自分から数々の荷物を捨て始めたのです。

このようなアーネスト・シャクルトンの強い決断力とリーダーシップ、行動力が全員を生還させたのだと言われています。この時、必要最低限の写真やカメラなどの記録は持ち運んだため、今も当時の正確な状況を知ることができています。

そして、南極付近の氷の上から、人類史上例を見ない過酷な遭難生活が始まりました。

それはもはや、南極大陸を横断することに匹敵するほどの苦難の旅でした。

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参照:Wikipedia

●南極大陸が『地球の底』と言われていたのは、決して比喩ではなく、当時においては決して人間がたどり着くことの出来ない場所だった。写真は実際のエンデュアランス号。周囲にある盛り上がるような異様な形の氷は、氷同士が水平の圧力でねじり上がっていったものである。

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●氷を慎重に避けて進んでいたエンデュアランス号だったが、前も後ろも凍結する海面に囲まれ、ついには氷の中に閉じ込められてしまう。

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参照:Wikipedia

●氷の圧力で船体はねじ切られ、海の中に沈んでいった。誰もがこの時、死を覚悟した。

 天才的なリーダーシップ

シャクルトンたちがこのような状況で生還できた理由は、シャクルトンの天才的なリーダーシップと、人を見る目と人を管理する能力にあります。

シャクルトンはそれぞれの隊員たちが得意な能力を的確に見極め、得意な仕事をさせ、かつ、人間同士のトラブルが事前に起こらないよう、トラブルメーカーになりそうな人間は手元に置いて管理するなど、誰もが100%の力を発揮できるように配慮していました。

22ヶ月において、数々の至難の中、隊員たちが力を合わせて生還できたのは、これらのリーダーシップによるものだと言っていいでしょう。

また、シャクルトンの楽観主義と高い決断力が、いつも隊員たちの心の拠り所になっていたのは間違いありません。

実際に、北極探検隊のサー・ジョン・フランクリンは、1845年に129名の隊員を連れて北極大陸探検に旅立ち、シャクルトンたちと同じように氷の中に閉じ込められ、19ヶ月の間そこで生き延びながら、船を捨てて移動することに決めます。

しかし、数々の人間同士のトラブル、極限の精神状態による反乱……原住民の証言によれば、食料のなさから共食いを始める…など、見るに耐えない状態で全員が死亡しています。

極限状態においてもっとも重要なのは、人間同士をどう取り持つかなのです。

関連記事: なぜ彼らはすべてを失ったのか?19世紀最大の悲劇、フランクリン北極探検隊遭難

シャクルトンは、氷の上に取り残されても決して絶望せず、生き残るための方法を考えました。

近くに島はないのか?そこまで移動できないのか?

レーダーや衛星などがない時代、シャクルトンは450キロほど離れたところに島があると信じ、船から持ちだした救命ボート3隻に限食料などの物資を積んで、犬ぞりで氷上を進みます。

しかし、海氷の上を進むのは並大抵のことではなく、救命ボートを引いて進めるような平らな地面はほとんどない…。

危険を避けて慎重に進めば進むほど、時間がかかり、限られた食料も底をつく…。

そうしているうちに、「船が壊れたなら契約も無効だ! 俺をほっておいてくれ!!」と叫んだり、情緒不安定になる隊員が出始めました。

シャクルトンはいつもとかわらぬ調子で、全員に、『船員契約は今も続いていること』、『今も給料は変わらず支払われること』、『反乱は死刑であること』…などの規則を、いつもと同じように、焦らず、一言ずつ説明します。消耗しきった隊員たちも、シャクルトンのいつもと変わらぬ様子に、最後の勇気を振り絞り始めました。

重いボートを背負った行軍、歩くたびにボートの重みで氷が割れ、全身が水浸しになり、防水加工技術がまだなかったため、マイナス50度近い世界ではいやがおうにも命を削り取られていきます。

息をするだけで、鼻の下に凍った水分のつららができる…。

それほどまでに苦労しても、1日に数キロほどしか進まないシャクルトン隊は、ついには行く手を阻まれ、食料も少なくなっていき、氷の上にキャンプを張ることを決断します。

少なくなってきた食料を温存し、アザラシやペンギンを捕獲して、アザラシの油を燃料にしながら命をつないでいきました。

しかし、アザラシやペンギンを見かけなくなる時が訪れ、食料は次々と失われ、犬ぞりの犬までも殺して食べなければならない状態になったのです。

船が沈没してから5ヶ月…。ひたすらに苦痛と、希望が見えず、なにも『することがない』という不安に耐え忍ぶだけの、無限とも思われる時間…。

シャクルトンたちを乗せた氷は海流に乗って移動し、凍結された世界から、少しずつ開けた海の方向へと流れ始めました。

そのうち、キャンプを張っていた海氷がまっぷたつに砕け散ったことで、シャクルトンは氷の上を捨て、全員が救命ボートに乗り込むことを決断します。

天才的な観測の腕を持っていた隊員のワースリーは、太陽の位置から自分たちの場所を探り当て、北へ5~60キロのところにエレファント島があるはずだと推測していました。

氷と岩だけのエレファント島…。

島とは名ばかりで、近くに立ち寄る船もなく、誰もいない、なにもない、人間が立ち入ったこともない小さな島。

そのエレファント島にたどり着くことが、生きるための最初の目標でした。

しかしそのためには、誰もボートで越えたことのない、南極の海に挑まなければならないのです。

エレファント島へ、死の海を行く

地球でもっとも恐ろしい海…

絶対にボートでは乗り越えられない海…

なぜ南極海はこれほど恐れられているのでしょうか?

南極海には、台風を超える秒速90メートルにも及ぶとてつもない暴風が吹き荒れています。

そして…

この暴風は、陸地であれば山などにはばまれて勢いをなくすものの、南極にはさえぎるものが何もなく、なんと1万9000キロの地球を一周し、地球の自転も加わって、強烈なエネルギーへと姿を変えるのです。

この暴風が巻き起こす大波の高さはなんと10メートルを超えます。

南極海で最も恐ろしい、ドレーク海峡において巻き起こるケープホーン・ローラーズでは、波の高さが30メートル、波と波の間隔は1キロ半にもおよび、一般に考えられる波などでは到底なく、まさに水の『壁』。マンションで言えば10階建ての高さにも相当します。

このような海を、エンジンもなくボートとオールだけで、マイナス37度近い寒さと暴風の中、身を守る物もなく、凍りつくような水しぶきに全身を濡らしながら、あるともわからない目標に向かって渡っていく…。

とても正気だとは思えない行動ですが、隊員にとって命をつなぐために絶対に進まなければならない道でした。

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●3隻の救命ボートのうちのひとつ。命を守るには、あまりにも小さく頼りないボートだった。

3隻のボートは、隊員たちを乗せて氷山のすきまを進んでいきます。

時に激しい風にあおられ、波から降る無数の氷に全身を濡らされ、船に穴を開けそうな氷山を避けながら、限界ぎりぎりの航海を行います。

眠るような余裕もなく、交代交代でオールを漕ぎ、筋肉がきしむまで延々とそれを続けました。

この海域は、本当に恐ろしいと言われるケープホーン・ローラーズが巻き起こるドレーク海峡からすれば、まだ序の口なのです。

しかしそれでも、隊員たちは眠ることも出来ない寒さに震えながら、温まろうと体を寄せ合うと服が凍りつく世界の中で、必死でボートを漕ぎ続けます。

ワースリーが太陽の観測で位置を測ると…。

眠ることもなく一日中漕ぎ続けたというのに、50キロ後退。

海流の威力に流され、キャンプ地点よりも逆戻りしてしまいました。

誰もが極限の精神状態で、ふとすると観測係のワースリーを恨むような様子も見せながら、生きるために必死でボートを進めます。

顔は青ざめ、暴風で氷山にぶつけられるたびにボートはきしみ、開けた海に出ると、大波への恐怖が襲いかかってきました。

どれだけ回避しても波のしぶきに全身を濡らされ、脱水症状と下痢に襲われ、激しい船酔いから、保存食であるアザラシの肉を食べることも出来ない…。

ボートには水がたまり、凍りつきそうな足の指を動かすたびに、すでに凍った服からパリバリと氷が崩れ落ちます。

全身が冷たさと不安に押しつぶされそうな中、屈強な男たちの中にも、泣き出すもの、絶叫して風をののしるものたちが現れます。

塩水にさらされてあちこちに水疱ができ、傷ついた部分から体液が流れだし、何度目かの朝を迎えた時、前方にうっすらと島の影が見えました。

エレファント島です。

誰もが残った力を絞り出して歓喜し、ヒステリーを起こしたように笑い出すものもいました。

何日も眠っていなくとも、誰もが死にものぐるいの力を出し、いっそう強くボートを漕ぎ始めます。

少しずつ船はエレファント島に近づきますが、15キロほどまで近づいたところで、そこから先へは一切進まなくなりました。

逆向きの海流が行く手を阻んでいるのです。

ここから、いっさいエレファント島に近づくことはできなくなりました。

明け方にエレファント島を見つけたというのに…昼になっても夕方になっても、夜になっても、夜を越えても、まったくそれ以上近づくことができなくなってしまったのです。

隊員の1人、ブラックボロの足は凍傷を起こし、感覚がまったくなくなっていました。

シャクルトンはブラックボロを励ますため、「誰も踏み入れたことのないエレファント島の一番乗りはブラックボロにしよう」と話しかけますが、誰の目にも、もう歩けないことは明らかでした。

陸が見えるのに辿りつけないぎりぎりの精神状態、隊員たちは極限に達しており、シャクルトンは、「今日中に陸地に着けなければ何人かが死ぬ」と判断しました。

その後、暗闇の中、50時間以上漕ぎ続けたワースリーを含め、全員が死力を尽くした結果、エレファント島の小さい入江に船を進ませることが出来たのです。

土の上に立つのは、イギリスを出発してから16ヶ月ぶり。

誰もが泣き、笑い、四つん這いになって土に触れ、生きている実感を噛み締めました。

決死の6人が、悪魔のドレーク海峡を渡る

エレファント島は、アザラシ(エレファント・シール)がいるということから名付けられた、なにもない小さな島です。

寒さから身をふせぐものも何もなく、ただただ、吹きさらしの暴風の中で過ごすことになり、息をするたびに雪が喉につまります。

こんなところで、どれだけ生活できるのだろう…?

なにもない島である上に、ここに探検隊が流れ着いたことを誰も知りません。偶然船が通るかかることもない、南極の近くの小さな島。

シャクルトンは、衰弱しきった隊員たちを置いて、決死の数人で、出発地点であったサウスジョージア島まで救援隊を呼びに行くことを決めました。

自殺行為であることはもとより、これしか方法がないのも事実でした。

時期はすでに、冬。冬の南極海。

しかも、サウスジョージア島にたどり着くためには、ドレーク海峡を渡らなければなりません。

エレファント島にたどり着くまでに、大変な苦労をした浮氷帯に勝る悪天候、ケープホーン・ローラーズ。

台風を超える秒速90メートルの暴風と、30メートル級の波が押し寄せる、地球上最悪の海域。

軍艦を持ってしても渡りきれずに何隻も沈んでいった、この世でもっとも危険な海。

さらに、エレファント島からサウスジョージア島までの距離は1500キロと、これは東京から北海道までの距離に匹敵します。キャンプからエレファント島にたどり着くまでの10倍は軽くある距離です。

なんの目印もなく、悪天候で太陽を観測することも難しい状態で、救命ボートとオールだけが彼らに残された道具です。

シャクルトンは1ヶ月分の食料を集め、船に積んだ後、それ以上の食料はいらないと伝えました。

「1ヶ月以上は、船そのものが持たない。必ず壊れるだろう。それまでにサウスジョージア島に辿り着けなければすべてが終わる」

シャクルトンは、副隊長のワイルドや、観測の天才であるワースリーたちを連れ、救助を求めるため、誰も挑戦したことがない悪魔の海域へと踏み出します。

彼らのドレーク海峡横断は、後年、探検家や歴史家たちから『世界でも最高ランクに過酷なボートの旅』だと言われています。

 悪魔の海へ

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参照:Wikipedia

●エレファント島を旅立つシャクルトン達

あまりにも小さい…吹けば飛ぶような小さな船で、1500キロもの旅に挑むシャクルトン達。

機械はなく、現在地や目的地を知るためには自分たちの計測技術だけが頼りです。

防水加工技術もなかったため、ウールの服は深く水を吸い、マイナス37度の世界で過酷に襲いかかってきます。

びしょ濡れの服で冷凍庫に入るという例えがまさにぴったりであり、骨まで凍りつくような寒さが、シャクルトン達を苦しめることになりました。

写真のような狭い船で、台風よりも強い風に揺らされ、南極の寒さに震える中、眠ることなどとうてい不可能です。

目標は、1ヶ月以内にサウスジョージア島にたどり着くこと。

ワースリーの天才的な観測術を元に、海流を利用して移動していく計画でした。

しかし、実際にドレーク海峡に出てみると…。

隊員たちは、「ドレーク海峡横断が、掛け値なく今まで経験した中でもっとも過酷な試練だった」と口をそろえて言っていますが、まさにその言葉に偽りなく、極寒の寒さの中で、経験したこともないような激しい大波が襲ってきます。

とてつもない高さまで波によって放り出され、また墜落するように海面に落ちる…。

ワースリーの観測術を使おうにも、船にしがみついた手を離せば、すぐさま海に放り出されるような状態。

他の隊員がワースリーを抱きかかえ、大波に乗って最も高いところまで放り出された一瞬に、ようやく見える水平線に向かって位置を計測する…

ワースリーの算数表は、木の葉のように絶え間なく揺れ続けるボートの中で、ろくに字も書けず、海水でびしょ濡れになり、ページをめくることも困難なほどでした。

そして、そもそも観測に絶対必要な太陽自体が、悪天候のためまったく姿を現さないのです。

1500キロの旅の中で、太陽を観測できたのはたったの4回。

東京から北海道までの距離をたったの4回でしたが、あとから分かったことに、ワースリーの天才的な観測術は、地球上で自分たちの位置をほんの数キロ程度の誤差で正確に捉えていたのです。

シャクルトンたちのボートは高波によって何度も空中に放り出されては落下し、そこにとてつもない雪のスコール、ボートの中には四方から海水の波を浴び続け、水が溜まっていきます。

ボートの中が海水でいっぱいになったら、ボートは沈んでしまうため、朝も夜もなく、全員で水をかきださなければなりません。

そのうち、寒さで船が凍結し、氷の重みで沈没しそうになり、交替で氷を割っていかなければなりませんでした。

しかし船全体に凍結した氷を割る作業は、あまりにも危険で過酷であり、誰も5分以上続けることが出来ず、5分毎に隊員が入れ替わって氷を割り続けました。

ついに氷によってアンカー(いかり)も破損し、流されてしまうことになります。アンカーを失っては、ボートを停めることはできません。

ドレーク海峡に出てたった3日で、全員の足が大きく膨れ上がりました。凍傷です。

常に海水に濡れ、運動もできず、足の感覚はなくなり、海水によってできた水泡がズボンにこすれて、誰の足も赤むけでした。

50歳を過ぎている船大工のマクニーシュは、誰の目にも明らかに限界が近づいています。

大きく揺れる船の中、コック役のクリーンが料理を行い、二人がかりでコンロをおさえて素早く火をつけながら、定期的に熱いミルクと角砂糖をふるまいました。

また、シャクルトンは、調子の悪い隊員が出るたび、「全員休憩だ」と全員にミルクを出すよう命じました。

これにより、調子が悪い隊員も、自分のせいで休憩しているという負い目を感じることなくいられたと言っています。シャクルトンの部下に対する思いやりでした。

数日後、南を振り返ったシャクルトンは、水平線に大きな白い晴れ間が見えていることに気づきます。

水平線にえんえんと続く、美しい白い晴れ間。

悪天候がやっと晴れてきたのか…と思った瞬間に気付かされました。

それは晴れ間ではなく、とてつもなく巨大で真っ白な波でした。

もはや高層ビルに匹敵する波に、逃げる場所などどこにもなく、「みんな、つかまれ!! 神にかけてつかまれ!!」と隊員たちをボートにしがみつかせるものの、巨大な波にボート全体が飲み込まれました。

自分が海中にいるのかどうかも分からない中、ボートはとてつもない重みできしみ、悲鳴をあげ、全員が死に物狂いでボートの中の水をかき出します。

1時間の格闘の結果、ボートは、かろうじて海の上に浮いていました。

隊員はあれほどの大波を受けてボートが沈まずに済んだことが信じられず、誰もが、またあんな高波にはあわないですむよう、ひたすらに祈りました。

さらに10日がすぎ、水平線以外なにも見えない海では、自分たちがどこにいるかもわからず、底知れぬ不安に襲われます。

ワースリーの観測によれば、海流に乗って750キロ、サウスジョージア島まであと半分の距離に到達しているとの報告です。

小さなボートは激しく痛み、残り半分の海路をどうにか乗りきれるよう、隊員たちは凍える寒さの中で神に祈りました。

巨大ハリケーンの中へ

ボートでの旅の中、波、風、雨に激しく揺さぶられたせいで、真水を入れていたふたつの樽のうちひとつが壊れ、ろくに水を飲むことができなくなりました。

海水と風で誰もの目が真っ赤に充血し、くちびるはひび割れ、希望の島が見えないかとひたすら海面をにらみつけています。

14日目…

ワースリーの観測では、サウスジョージア島まであと130キロ…。

サウスジョージア島にある捕鯨基地は、北側にあります。

南極から来たシャクルトンたちは、南側から到達することになりますが、できれば北側の基地に回りこみたい。

しかし海流に流されて島を通り過ぎれば、そこから先はアフリカ大陸まで陸地は存在しないのです。

無人のサウスジョージア島南側…ここに行くしか選択肢はありません。

15日目、ついにサウスジョージア島が隊員たちの前にうっすらと姿を現しました。

歓喜する隊員たち。

その数時間後には島の目の前まで接近するも、きりたった崖ばかりで、ボートをつけて島に乗り込めるような場所がありません。

あと少し… あと少し…

早く… 早く…

誰もがいらだちながら、しかしボートをつけられる海岸は見つからず、そうこうしているうちに夜になりました。

その日の夜、天候は大きく変わり、海は怒り、空は荒れ、夜明けには今まで感じたこともないような嵐が襲いかかりました。

もはや波と言わず、あらゆる方向から海水が襲いかかり、雨と雪とあられ、ひょうが舞い散り、大波はとてつもない勢いでボートを空中へ巻き上げ、叩き落としていきます。

波がくるたびにボートはサウスジョージア島に近くなり、もしもこの勢いで岩壁にたたきつけられれば、ボートが破壊されるのは目に見えていました。

今、ボートを失えば、確実に全員が命を失います。

島がここまで見えているが…しかし…しかし…

マストを張って、島から離れ、ハリケーンの中に突っ込むしかない…!

シャクルトンは全員にハリケーンに突っ込むことを宣言し、凍りついたマストを1時間かけて張り、ハリケーンの中に向かって行きました。

ハリケーンの中は、もはや自分が海の中にいるのか海の上にいるのか、それすらも分からないほどの冷酷な嵐の地獄でした。

とてつもない衝撃にボートはきしみ、板の間に隙間ができ、噴水のように水が溢れ出てきます。

一度でも海の中に沈めば、構造上、ボートは二度と浮き上がってはこれません。

鍋で手で、全員が必死になってひたすら船の中の凍りつくような水をかきだしていきます。

背後で岩壁にたたきつけられる波の音はあまりにも近く、いつ岩に叩きつけられるとも知れず、誰もが極限の恐怖と戦っていました。

「早くおさまってくれ!!」

そう願う隊員たちとはうらはらに、ハリケーンはなんと9時間もの間、猛威を振るい続けました。

あとから知ったことですが、このハリケーンにより、500トンクラスの汽船が沈没し、乗組員は全員死亡してしまったということです。

ようやく夜9時頃にハリケーンがおさまりはじめ、わずかな休養をとるも、翌朝、疲れきった隊員は、もう水を飲むことも、食べ物を食べることもできない状態でした。

ボートのマストを止めていた釘がこの時ぽろりと落ち、とてつもない風圧がかかったことを物語っていました。もしもハリケーンの最中に釘が外れていたら、誰の命もなかったでしょう。

「今日中だ…もう今日中に島に上陸しなければ、50を過ぎたマクニーシュは持たないだろう…」

それから1日かけてシャクルトンたちは入江を探してボートを進めつつ、飲水にするための氷を探してさまよいました。

水がまるで飲めないまま、夕暮れになってようやく見つけた入江の洞窟。

ボートを進め、ようやく…ようやく、サウスジョージア島に到着しました。

隊員たちは、足元で氷が溶けた水たまりの水を、まるで犬のように飲み、しびれるような感動を味わいました。

誰も越えたことのない、死の山を越える

サウスジョージア島に着いたものの、隊員のうちふたりは、もはや動くこともできないほど衰弱しきっていました。

幸いにも、近くにはアザラシなども住んでいます。

これらの食料を用意した上で、彼らはここに置いて行き、残ったものだけで救援を求めるしかないだろうとシャクルトンは考えました。

しかし、捕鯨基地があるのは、険しい山脈を越えた島の反対側です。

島をまわりこむ? 200キロ近い距離をまわりこまなければなりませんが、ボートはもう痛みはて、岩によって削られ、薄いところではボール紙のような薄さになっています。

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参照:Wikipedia

●サウスジョージア島。捕鯨基地があるのは北側の黒い点が3つ縦に並んだ部分。南極から来たシャクルトン達は南側の入江に到着したため、島をまわりこむのは至難の業。

たったひとつしか方法がない…。

島を横断する…。

サウスジョージア島は、南極のアルプス山脈といわれるとてつもない険しい山が、島を大きく占領しています。

登山の装備どころか、地図もない。

シャクルトンの胸の中に、南極エレファント島に残してきた22人への思いが駆け巡ります。

必ず救援を求める。装備も地図もなくとも、山脈を乗り越えるしかないんだ…。

シャクルトンは元気な隊員に衰弱した2人を世話するよう伝え、残った3人で、山脈を越えるために旅立ちます。

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参照:Wikipedia

●探検家によって撮影された、サウスジョージア島のパノラマ写真。とてつもなく起伏が激しく、誰も横断に挑戦したことがない山脈。高いところでは標高2,934mにも及ぶ。

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参照:Wikipedia

●平野にはペンギンも多く生息しているが、山脈の険しさは桁外れである。登山道具もなく、人が登れるような山ではない。

 南極海のアルプスを越える

雪を踏みしめて山脈を登るシャクルトンたち。

一歩一歩歩くたびに、自分たちの体力が極限まで落ちているのを感じます。

南極での氷の生活から、1ヶ月近くも狭い船の中で横たわることも出来ない航海…シャクルトンたちの体力も消耗しきっていたのです。

3人はロープでお互いの体を結び合いながら、互いを支えあって山を登ります。

普通の山ではなく、凍った山脈。足場などない絶壁、崩れて落ちゆく氷河。

もしも足を踏み外したら、あっというまに滑り落ち、あちこちで大きく口をあけているクレバスに飲み込まれたら、二度と助かりません。

3人は15分毎に休憩し、時折雪を口の中に入れて乾きを潤しながら、ひたすら山を登り続けます。

ワースリーが天体の観測と、島の全体地図とを照らし合わせ、山脈の地形地図はなくとも、捕鯨基地までの方角が分かるようにしてくれました。

深夜2時から山を登り始め、翌日の昼12時まで、10時間かけてようやく峠の頂上までたどり着いた時、反対側が崖であることが判明しました。

ここからは下りられない…。向こう側に渡ることはできない…。

ならば10時間かけて登ったとしても、また同じ道を戻り、別の峠を越えるしかありません。

3人はわずかな食事を取り、また今まで来た道を戻り、新たな峠を目指しました。

自分たちの体を引きずるようにして、疲れを押し殺し、次の峠を目指します。どこも海抜1200メートルを越えており、ヨーロッパのアルプスと遜色ありません。苦労に苦労を重ねてふたつ目の峠の頂上にたどり着いた時、この峠の反対側が、また先ほどと同じように断崖絶壁であることに気づきました。

また、もどらなくては……。

シャクルトンたちは深い深い絶望感を押し殺します。真っ逆さまに落ちていきそうな感情を抑えて、3番目の峠を目指しました。

そして、3番目の峠の反対側も、また同じように崖になっている事実が襲いかかりました。

地形地図もなく山脈を登山すれば、当然、こうなります。こうして人は遭難していくのです。キャンプする道具もなく、止まれば死ぬしかないシャクルトンたちは、夜が来ることを恐れながら、また来た道を戻っていきます。

あたりには深い深いクレバスがあり、戦艦が2隻は余裕で隠れることが出来るほどのものでした。真っ暗で深い穴に注意しながら、シャクルトンたちは4番目の峠を登っていきます。

やがて夜が近づき、霧があたりを覆い、急速に視界が悪くなっていきました。

ようやく4番目の峠の頂きにたどり着いた時、あたりはすっかり暗くなり、ついに南極の凍った山脈に夜が訪れました。

シャクルトンは、暗闇でまったく先が見えない4番目の峠を、滑り降りようと提案します。

下が崖なのか、途中に岩があるのか、大きなクレバスがあるのか、何も見えないし分からない。

しかしこのままここで一晩を過ごせば、確実に死ぬだろう。

シャクルトンの提案に、残ったふたりは猛烈に反対しますが、「このままここにいられるのか」というシャクルトンの一言に覚悟を決めました。

地面に座り込み、ロープをお尻の下に敷いて、せめてものボードの代わりにし、両足で前の人間を挟み込みます。オリンピックのリュージュ選手でも体験したことのないような、恐怖の落下。何も見えない崖を下り落ちる落下です。

ワースリーは、「こんなに怖い体験は人生になかった」と後々証言しました。

暗闇の中、山の頂きからまっさかさまに落ちた3人し、30秒もの間、強烈なスピードで滑り続けました。

何も見えない暗闇のなか、次の瞬間に岩にあたるとも、クレバスに落ちて死ぬとも知れず、とてつもない恐怖に全身が凍え、呼吸すら忘れてしまうほどの時間…。

わずか30秒、永遠の30秒で、3人は1キロ半ほどもの距離を落ちるように山を下り、奇跡的にやわらかな雪の中に飛び込みました。

これだけ危険な落下で、誰一人失わず無傷でいることに、3人は感謝して握手し、生きていることを喜び合いました。

体を温めるため、携帯コンロに火を着け、煮えたぎったスープをスプーンでひとすくいずつ飲みます。

シャクルトンは、「君のスプーンが一番大きいんじゃないか?(全員同じ大きさ)」などとジョークを言い、3人を和ませます。残ったふたりも慣れたもので、「船長の口は一番大きい」などとジョークで返し、極限の苦しい雰囲気を笑い飛ばしました。限りない苦境でもいつもユーモアを言う、シャクルトンのしなやかな強さが、船員たちをいつも励ましています。

山を登り始めて、16時間が過ぎようとしていました。

東へ…

ワースリーの観測の結果、サウスジョージア島の真南に到着したのではなく、かなり西側についてしまったことは分かっていたので、捕鯨基地に向かうためには東へ東へと向かわなければいけません。

まっすぐ横断するよりも遠く、斜めに横切っていかなければならないことが、余計に山脈の進行を困難にしていました。

一歩一歩、東へ進むたび、地形はさまざまな形に姿を変えます。

時には周囲がクレバスだらけになり、自分たちが島ではなく、氷の上を歩いていると気付かされる場面もありました。

当然ながら、どれだけ時間がかかっても、眠ることはできません。

眠ると即死んでしまうことが分かっているため、10分ほど交替でうとうとすると、すぐに3人は歩き出します。

一晩中歩き続け、明け方になる頃、大きな山の頂きに到着することが出来ました。

あたりの地形がよくわかります。

そして、捕鯨基地があるストロムネス湾の姿も、遠くにぼんやりと見えています。

6時55分。

遠くの捕鯨基地から、ボーーーッとという工場の汽笛の音が聞こえます。

船の沈没から、南極の氷の上をさまよい、小さな救命ボートで海を越え、氷と岩岳の島に仲間を残し、地獄のドレーク海峡を横断して、険しいサウスジョージア島の山脈を越えた時、初めて聞こえた、『自分たち以外の人間の音』…。18ヶ月ぶりに触れる自分たち以外の存在…。

「喜びが言葉にならない」。

3人は全身を満たす深い深い感動とともに、捕鯨基地に向けて足を進めます。

捕鯨基地まで残り僅かです。

凍った滝を越える

3人はひたすらに、うっすらと見えた捕鯨基地に向けて山を下っていきます。

時には極寒の世界の中、雪解け水の川をひざまで濡らして進んで行ったり、過酷な下山を続けるも、あと少しで捕鯨基地にたどり着けるという希望が、3人を突き動かしていました。

そのうち、雪解け水の川が、空中に流れ落ちていました。

そこから先は崖、凍った滝。

6階建てのビルほどもの高さがあり、他にどこにも進む道がありません。

また、今来た道を戻るのか。それとも崖を降りるのか…。

3人はロープを使って崖を降りることにしましたが、ロープを結びつけるような岩も木もない状態。2人がロープを支え、1人が降りるという方法しかないのですが、体重をかけて下りては、上の2人とも巻き込まれて落ちていくのは明らかでした。

船乗りの方法で、ほぼ飛び降りるようにロープを手の中ですべらせながら崖を落下し、着地する寸前にロープを握って衝突を防ぐしかありません。6階建てのビルから落下すると、その速度は時速60キロ以上にもなりますが、彼らは手慣れたものでした。

これにより2人は無事着地することができたものの、最後に残ったワースリーはどうすることもできません。もうロープを支えてくれる人はいないのです。

しかたなくロープを丸めると、岩の下に強く押し込みました。

ロープが持ちこたえてくれれば、無事に着地できます。もしもロープが抜けてしまったら? 6階建てのビルから、そのまま落下したのと同じ衝撃が襲いかかることになります。

ワースリーは覚悟を決めて飛び降り、手の中ですべらせたロープを、時速60キロで落下する中、着地の瞬間に強く握ります。

握りしめたロープに全体重がかかり、ロープは外れてしまうかと思いきや、ワースリーの体を支えきり、無事に着地することが出来ました。

3人はこの事実に驚いて、なにがこのロープを支えているのかと、強く引っ張ってみましたが、ロープは固定されてびくともしません。

岩の下で凍りついてしまったのだろうか…?

確かめたいところでしたが、もうロープは必要ないのです。滝を乗り越えられたことで、もう下るところはなく、捕鯨基地まであと、平地でたった数キロというところまで迫っていました。

文明の息吹

捕鯨基地にたどり着いた時、彼らの姿を見た少年たちが大慌てで逃げ出しました。

何ヶ月も極限の生活をしていた彼らはぼろぼろで汚れきり、見るも恐ろしい姿になっていたのです。

捕鯨基地から感じられる文明の息吹に、3人は言葉に出来ない感情に震えます。

3人はよろめきながら、工場支配人であるソレルの家へと訪れました。

「ソレルさん、私のことがわかりますか?」

シャクルトンの声はしゃがれていました。

「いいや。あんたは誰だ?」

ソレルはきつい口調で返します。

「シャクルトンです」

ソレルはこの世のものを見たと思えない表情で目を見開き、開いた口がふさがらない状態でしたが、その後、涙を流して泣き始めました。

死んでいると思われていたシャクルトン達

シャクルトンは知るよしもありませんでしたが、南極を横断した自分たちを迎えに来てくれるはずだった船が、同じように氷に閉じ込められ、損傷が激しく、シャクルトンを迎えることを諦めて引き返してしまっていたのです。

これにより、イギリスでは、南極を横断したシャクルトンたちは、いざ目的地にたどり着いた時、見捨てられたことに気づいて、為す術もなく死んでいくのでは…?と、連日報道されていました。

そのシャクルトンたちが、無事に生きていた。

しかもどうやったのかわからないが、このサウスジョージア島に戻って来れた??

イギリスから来たシャクルトンたちが、南極への中継基地としたサウスジョージア島。どうやってあの死の南極から、船を持たずにここに戻ってきたのか??

ソレルは深い深い感動から、3人の肩に優しく手をかけました。

3人はあたたかいお風呂と食事をしたあと、求められるがままに工場員たちにこれまでの経緯を話しました。その話はどれもこれも、厳しい環境で生き抜く海の男達にも、信じられないような話ばかりでした。

シャクルトンたちは一晩休んだものの、極限状態での激しい恐怖から、何度も海や氷の悪夢に叫び声を上げてうなされつつも、翌朝になって、サウスジョージア島の洞窟に置いてきた3人を迎えに行きました。

悪魔のドレーク海峡を越えた救命ボートは、捕鯨員たちの手によって大切に運ばれました。この船は今も、南ロンドンにあるダリッジ・カレッジという中学校で大切に保存されています。

電報は海を駆け巡り、ロンドンでは『シャクルトン生還!!』という記事が新聞の一面を賑わせ、街中のニュースになっていました。

しかし、シャクルトンにはまだ、やらなければならないことがあります。

残してきた仲間を救うこと。

捕鯨基地を見つけた時の言葉にならない喜びや、ソレル工場長に迎えられた時のあふれる感動は、すべて、『これで仲間が救われる…!』という思いがあったからでした。シャクルトンは振り返ります。

凍りつくような雪の中で、食べ物もなく、疲れと眠気にもうろうとしていると、「なんでもいいから、眠ることができたら他にはなにもいらない」という感情に襲われる。それでも、どれだけ辛くて苦しくても、前を向いて進んでいられたのは、仲間を残したきたからだ。あの、岩と氷しかないエレファント島に、22人の仲間を残してきたからだ。これで仲間が救われる。これで仲間が助かるんだ!!

シャクルトンたちは、エレファント島に船を出そうとしますが、残酷な事実がシャクルトンたちに襲いかかります。

船が出せない――――――

シャクルトンたちが、エレファント島からサウスジョージア島にたどり着くのにかかった1ヶ月の間に、南極の冬はその深さを増し、海を凍らせ、エレファント島を固く固く閉ざしてしまいました。

今向かえば、また同じように船が沈没してもおかしくありません。

船は出せない………

待つしかない。

南極の氷が解けるまで…

冬が終わるまで…

次の春が来るまで…

あの島に、この春まで…!?

1ヶ月の航海だけでも、待つだけでは地獄のように長い時間と生活を、更に春まで…?

そんなに長く、希望を保っていられるのか?

そんなに長く、待っていられるのか?

そんなに長く、生きていられるのか?

シャクルトンたちは張り裂けそうなほどに焦る思いを胸に、何度も船を出しては、また引き返すことを繰り返し、ただ、春がくるのを待つ他はありませんでした。

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参照:Wikipedia

●シャクルトン達がドレーク海峡を越えた、ジェイムズ・ケアード号(きれいに補修されている)。大人が6人乗れば、当然寝るスペースはない。こんな小さな船でドレーク海峡を越えたのは正気の沙汰ではなく、正に奇跡である。

22人の希望

冷たい雨の中のエレファント島で、助けを求めて旅立つシャクルトンたちを見送った22人…。

誰もが、あんな小さな船でドレーク海峡を横断できるはずがないこと、救いが訪れるのは、針の先よりも小さな小さな奇跡でしかないことを分かっていました。

このまま、死ぬのでは?

シャクルトン隊長たちは、ドレーク海峡の激しいケープホーン・ローラーズに飲み込まれて死んでいき、自分たちは訪れるはずのない助けを永遠に待ち、永遠に待ち、永遠に待ち…

心と体は永遠の時間を待つことに疲れ、しなびて、希望を失い、そのうち…

死んでしまうのではないか?

我々は、このまま死ぬのではないか?

誰もの心の中に深く沈んでいく絶望感を、副隊長であったワイルドは、「絶対に隊長は戻ってくる」とみんなに伝えて振り払いました。

ワイルドは、1908年にシャクルトンが行った南極探検をともにした経験があったのです。

この探検でも南極点に到達することは出来ず、途中で食料が尽きて引き返すことになったものの、食料のない行軍は過酷を極めました。

2日間、何も食べずに南極をひたすら行軍したワイルドは、衰弱のために倒れかかり、意識はもうろうとし、次の日の朝に1人1枚ずつ配られたビスケットだけが、最後の命の綱だったのです。

しかし、なぜか知らない間にビスケットが、もう1枚ポケットに入っていました。それはシャクルトンのものでした。

誰もが飲まず食わずの極限状態。ワイルドはシャクルトンにビスケットを返そうとするものの、「君のほうがそれを必要としている」と、シャクルトンは絶対に受け取ろうとしなかったのです。

ワイルドはこの時のことを思い出して、こう語っています。

「この優しさが、この心の広さが、一体どれほどのものなのか、その本当の意味を知るものは世界に私一人しかいない。私はこの出来事を、神にかけて一生忘れることはないだろう」。

シャクルトンが旅立った、成功するはずもないドレーク海峡横断を、ワイルドは心の底から信じきっていました。ワイルドは他の21人の隊員たちを、強く励まし続けたのです。

南極の冬を越える

吹きさらしのエレファント島で、必要とされていたのは『風をしのぐ住処』でした。

しかし岩と氷だけのエレファント島に、使えるような道具はなにもありません。

隊員たちは、凍える体をひきずりながら、近場にある岩を重ねていき、1メートル20センチほどの壁を作りました。

その上に、救命ボートのひとつを、ひっくり返して屋根のように乗せる。これで即席の小さな住処の完成です。

普段であれば、22人の隊員たちで1時間もあればできてしまうようなことが、この時はまる1日もかかりました。

小さな岩の壁の上に船をひっくり返しただけの、小さな小さな住処。アザラシの油からランプを作り、すすと煙に咳き込まされながら、22人でひとつに固まり、ただひたすら生き抜くだけの生活が始まりました。

小さな小さな住処で22人。そしてこの頃、エレファント島に到着した時には歩くこともできなくなっていたブラックボロの足が、ついに凍傷を起こし、足の指を切り落とさざるを得ない状況になっていたのです。

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●エレファント島に作り上げた、岩と船の小さな小さな住処。22人がこの中で、南極の冬を越えた。

ブラックボロの手術

医師であるマリリンとマッキルロイは、虫歯や皮膚炎など、隊員たちの治療に大忙しでしたが、もっとも重症なのがブラックボロであるということは分かっていました。

両足の指は凍傷を起こし、右足は回復しましたが、左足の指はもう腐り始めていたのです。

医師たちはブラックボロの腐った指のまわりに、新しい組織が生まれ始めているのを確認すると、手術を決行しました。

鍋をきれいに洗い、水を沸騰させ、手術器具を消毒。真っ暗な小屋の中を、アザラシの油のランプをありたったけつけて明るくし、荷物の箱を並べて手術台にしました。

クロロホルムを染み込ませたガーゼで、ブラックボロの口元を覆い、手術が始まります。

医師がメスを動かすたびに、ブラックボロの足の指がポトンとブリキの缶詰の中に落ちます。

傷口を縫い合わせ、1時間ほどの手術が終わりました。

そしてこれが、長い長いエレファント島の生活で起こった唯一の大きなイベントでした。

それ以外は、何も起こらず、何も変わらない日々を、無限と思われるような凍える時間ととぼしい食事を、ひたすら続けるだけの毎日…。

小さなボートの下で、22人が閉じこもって過ごす生活が、1日、2日のものなら我慢もできます。

しかし、これが1週間、2週間、さらに超えて数ヶ月となると、確実に隊員たちの心はむしばまれ、心のなかに深く深く刺さった棘が決して抜けなくなっていきます。

そのうちに、誰とも知らず、この島のことを『地獄島』と呼び出すようになりました。

深い冬に閉ざされる

この時の隊員たちの食料はペンギンしかありませんでした。

エレファント島には人が来ないため、ペンギンも人馴れしておらず、簡単に捕まえることが出来たのです。

ペンギンを獲りに行く仕事が、この島で最も重要で、そして最も誰もやりたくない仕事でした。

小屋の中で、小さなランプのぬくもりに縮こまって暖を取っている生活。誰が、防水加工もされていない服で南極の世界に飛び出し、ペンギンを捕まえたくなるというのでしょうか?

食べ物さえ穫れば、日々の仕事を誰かに代わってもらえるため、いやいやながらペンギンを獲りに行く者も多くいました。

飲み水は、氷を削りとっては小屋に運び、コンロで溶かしては口に運びます。

ペンギンの肉のスープに飽き飽きして、海草を入れたり変化をつけるものの、食生活は豊かになりません。

誰もが1日1個配給される角砂糖を楽しみにしています。食べ物のことが頭から離れない毎日。

そして………待つことにも、生きることにも、不安で不安で仕方がない毎日。

ペンギンはずっとこの島にいるのか?

いつかこの島からいなくなったら、我々はどうなるのか?

さらに、エレファント島に深い深い冬が訪れ、周囲の海を凍結させていった時、「助けは来れない。次の春まで」ということを隊員たちは覚悟させられました。

ひたすら、ただ、待ち続けるだけの生活。

隊員たちはせめても自分たちが絶望感を取り除けるよう、冬至にはパーティーをしたり、料理の本を見ながら話をしたり、気を紛らわそうとあれやこれやと必死になります。

しかし、狭い狭いボートの下で数ヶ月。時間が経つごとに、自分たちが待つことに疲れきり、ぬぐいきれない絶望感がとげのようにうずき始めるのでした。

あなたなら

副隊長ワイルドは、毎朝、「支度をしろ。今日、隊長が来てくれるかも知れないぞ!」と言ってみんなに活を入れます。

シャクルトンたちが旅立ってから、なんと、4ヶ月もの月日が経過していました。

のしかかる感情の重さによろめくように島で生活していた隊員たちに、ついに『その日』が訪れました。水平線の彼方に、蒸気船の煙が見えたのです。

「船だ!!」

エレファント島に、漁船などが来ることは決してありません。

ここに来るのは? ここに来る船は? その正体はもうたったひとつしかない。

喜びのあまり、誰もが数分間凍りついたようになり、一言もしゃべることができません。

しばらく固まった後、突如、時間が動き出したかのように、全員が騒ぎ始めました。

あふれる思いを言葉にできず、ただ狂ったように手をふり、アザラシの脂を燃やして目印にしました。

船から放たれた救命ボートがどんどん近づき、シャクルトンの姿が見えます。

「みんな無事か!?」

シャクルトンの声に、隊員たちは大きく答え返しました。

「無事です!?そちらは無事ですか?」

「見ればわかるだろ?体をきれいに洗ったんだぞ」

シャクルトンのジョーク、いつも通りのユーモアに、みんなが抱き合って笑い合います。

シャクルトンの行動力やリーダーシップは、当時のイギリスでも賞賛され、今でも全世界から讃えられています。

しかし、世界中のどんな賛辞の言葉よりも、シャクルトンは、救助船がエレファント島にたどり着いた時に隊員に言われたたった一言が、人生で受けた最も嬉しい言葉だったと語っています。

「隊長、あなたなら、必ず戻ってきてくれると信じていました!!」

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参照:Wikipedia

●救助時の実際の写真

エピローグ

こうして、シャクルトンたちの過酷な旅は終わり、人類が考えたこともないような状況から、1人も欠けることなく、無事イギリスに戻ってくることが出来ました。

そして、イギリスに帰ってきたシャクルトンたちを待っていたのは、第一次世界大戦の戦火でした。

勇敢さが広く伝わった彼らは、全員が軍隊に加わり、南極の過酷な旅を生き抜いたというのに、戦場で命を落としていきます。

戦争が終わった後、シャクルトンは、また南極探検の旅に出ることを考えました。

ワイルドやワースリー、ブラックボロの手術をした医師たちを集め、あの南極大陸を一周し、まだ地図にも載っていない島を調査して、新たに地図に載せること…。

自分たちの人生の集大成とも言える旅に、シャクルトンたちは出発します。

しかし、これまでの数々の過酷な日々はシャクルトンの体をむしばんでいました。

シャクルトンは船の中で、たびたび心臓発作を起こすことになったのです。

心臓が止まりそうになる苦しみの中、医師はシャクルトンにこう告げました。

「隊長、生き方を変えなくてはならないようです」

しかし、シャクルトンは弱々しく、首を横に振ります。

「君はいつも、私に何かを諦めさせたがる。今度は一体、何を諦めればいいんだい?」

その数分後、シャクルトンは亡くなりました。

ちょうど船がその時たどり着いていた場所が、サウスジョージア島でした。

7年前、サウスジョージア島から希望を持って南極に旅立ち、船が沈没し、数多くの苦難を越え、海からすれば葉っぱのように小さなボートで、サウスジョージア島に救助を求めたシャクルトンたち。

そして、このサウスジョージア島にシャクルトンは埋葬され、今も永遠に眠っています。

こうして、シャクルトンの探検は幕を閉じたのです。

困難な坂道に、勇気を奮い立たせる危険に幸あれ。

苦も楽も平然と受け止め、決してくじけることのない、陽気な心に幸あれ。

(シャクルトンが一番好きだった歌)

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