敵からも『天下の奇才』であると讃えられ、困難な状況下でも決して諦めず戦い続けた三国志の軍師、諸葛亮。
中国のみならず、日本でも人気の彼ですが、彼が息子のためにプライベートで残した言葉とはどのようなものだったのでしょうか?
実際に残されている書物を振り返りながら、諸葛亮の等身大のメッセージについて触れてみたいと思います。
子孫が暮らす村に残された、『誡子書』
諸葛亮の孫の諸葛京の末裔と称する一族が多く住む、諸葛八卦村。
ここに残された『誡子書』の中に、諸葛亮が残した生身のメッセージがあります。
内容を現代文に訳すると以下の様なものです。
すぐれた人間になるべき行動とは、じっくりと構えて自分を養い、なにごとにも控えめに振る舞い、人のお手本となるべき行動を身につけることにあります。
無欲でなければ、大きな夢を抱き続けることは出来ません。また、じっくり構えていなければ、大きな仕事を成し遂げることも出来ないでしょう。
そして、じっくり構えていただけで、自分を磨くための努力を怠っていれば、能力を高めることもできませんし、大きな夢を失えば、自分を磨くための努力を続けることはできないでしょう。
人を見下す気持ちが自分の中にもしあったなら、自分を奮い立たせることは出来ません。
心に落ち着きがなければ、性格も浮ついたものになります。
時間が立つのは本当に早く、あっという間に年を取っていきます。
それとともに、気力も体力も衰えて、世の中との関わりも少なくなってくるでしょう。
そうなってから、慌てたところで、どうにもならないのです。
それ君子の行ひは、静以て身を修め、倹以て徳を養ふ。 澹泊にあらざれば、以て志を明らかにすることなく、 寧静にあらざれば、以て遠きを致すことなし。 それ学は須く静なるべく、才は須く学ぶべし。 学ぶにあらざれば、以て才を広むるなく、志あるにあらざれば以て学を成すなし。 滔慢なれば則ち精を励ますこと能はず、険躁なれば則ち性を治むること能はず。 年は時と与に馳せ、意は日と与に去り、遂に枯落を成し、多く世に接せず。 窮盧を悲しみ守るも、将た復た何ぞ及ばん。
生身の諸葛亮のメッセージ
天才軍師として扱われる創作の世界とは違い、世に出るまでも時間がかかり、世に出てからも、多くの苦労を強いられた諸葛亮。
軍師としてよりも内政家として評価されることが多いですが、劉備亡き後の極めて複雑な状況であった蜀政権を見事にまとめきり、5度の魏への侵攻を行っても国力を減らさなかった点など、堅実で優れた手腕を今に残しています。
彼が2世紀の人物であったことを考えると、『誡子書』に書かれているようなことは、人が実現しようとしてもなかなかできない永遠のテーマであり、諸葛亮のように堅実に苦労した人間こそ、このようなメッセージを子孫たちに残したのだろうと考えられるでしょう。
また、戦乱の時代にありながら、人を蹴落とすようなことを考えず、『人を見下すことなかれ』などの言葉を子孫に残そうしている点、彼の人間性が垣間見れます。
圧倒的不利な状況で戦った悲劇の軍師としても有名ですが、それでも多くの人間が彼の人徳に惹かれていました。
たとえ世の中がどれだけ悲劇でも、堅実に、まじめに、静かに生きることがどれだけ大切かを彼は示してくれています。
彼が1800年間たった今も愛され続けているのが、その証拠だといえるでしょう。